電脳文字対話 2


:しかしまあ、本当に時の流れるのは矢のごとしだね。まいったよ。

:ずいぶん忙しそうだね。

:そうだね、話したいことはいろいろあるんだが、貧乏暇なし話す暇なしってところだね。そこで今日はちょっとだけ気になったことについて語っておこうと思う。

:何についてだい?

:この間、読売新聞の投稿欄に、言葉の使い方に関して疑問を投げかけているものがあった。

 《数年来、テレビ、ラジオのインタビューなどで不思議に感じていることがあります。

 それは、芸能人やスポーツ選手から、近ごろでは一般の人たちに至るまで、会話の後に必ずと言っていいほど、「はい」と付け加えていることです。

 本来、この言葉は相手側から話の内容を確かめられたり再質問された時に、「はい、その通りです」などと言うのが会話の流れと思うのです。なぜ、これが相手より先回りして発せられるようになったのでしょう(以下略)》(読売新聞、8月31日朝刊 投稿欄より)

 というものだけど、君はインタビューされる人がなぜ会話の終りに「はい」とつけ足すか分るかい?

:……たしかに謎だな。

:実は僕も以前、このことに関して「おかしいな、何だろう、この表現は?」と思っていた時期があるんだけど、しばらくそうした場面を観察しているうちに疑問が解けたんだ。結局、日本人同士の会話のぎこちなさがそうさせているんだよ。

:どういうことだい?

:たとえば大リーグの試合やヨーロッパのサッカーの試合の後などで、外国人のインタビュアーが選手にインタビューしている場面を見ていると、インタビュアーが選手に対して、矢継ぎ早に質問をしたり、激励の言葉をかけたりして、またそれに対して選手も生き生きと言葉を返していたりするよね? つまり、そこでは有機的な・躍動的な言葉の受け答えが成立しているわけだ。反対に、日本ではそういう場合、インタビュアーの力不足のせいもあるとは思うんだけど、多くはぎこちない会話のやりとりになってしまっている。たとえば、「見事な20勝目の勝利、おめでとうございます」「有難うございます」「今、どんなお気持ちですか?」「いや、ほんと嬉しいのひとことです……、はい」「途中、苦しい場面もありましたよね?あの場面ではどんなことを考えていたんですか?」「いや、もう、せっかく味方が点をとってくれてたんで、絶対に打たれちゃいけないと思って頑張りました……、はい」「リーグ最速の20勝です」「いや、もう、個人の記録より、とにかくチームが勝つことが一番大事なんで……、はい」「多くのファンの皆さんが集まっておられます。最後に、何か一言お願いします」「今日は暑いなか、球場に足を運んでくださって有難うございました。これからも頑張りますんで、応援よろしくお願いします!」「有難うございます。見事20勝目を飾りました、某投手でした!」てな感じが典型的だろう。

:ずいぶん類型的だと思うけど、まあいいや、で?

:ここで使われている「はい」は、明らかに応答や諾否の意味で使われているものではない。相手に向かって、「今の質問に対する俺の話はここで終りだ、次の質問に行ってくれ」という意味で使われているのだよ。

:ははあ、なるほど。

:つまり、三浦つとむのいう<応答詞>的な用法ではなく、相手の注意を喚起するという本来の<感動詞>的な用法だね。なぜこの用法が一般化したのかはよくわからないが、おそらく質問べた、話しべた同士が会話をしているうちに自然成長的にこんな表現が生れてきたのじゃないかな?

:まさに必要は発明の母だな(笑) でも、投稿者によると、それはいらぬ発明のようだが。

:僕もいらぬ発明だとは思うが、とりあえず話し言葉としてしか定着していないし、そんなに目くじら立てる必要もないんじゃないかな。でもまあ、一番大事なのは、もっと躍動感にあふれる生き生きとした会話をすることだよね。

:そういえば、俺の知り合いで、自分が話したあとで、ちょっと間をおいてから、自分の言葉に対する周囲の反応がなかった事を打ち消すかのように、「…うん、うん」とか「ああ、ああ」とかうなずきながら何か意味のない言葉を発する人がいるんだけど、それと同じようなもんかな?

:それはちょっと違うな(笑) ここでいう「はい」は、あくまで相手に注意を喚起している<感動詞>であって、君のいう例はむしろ自分に対する「励まし語」だろう(笑)


 


(2005年9月14日脱稿  2025年9月24日 gooブログより転載)

2025年09月24日