電脳文字対話 22(正直太郎の憂鬱)
私 : きみはドラえもんは観るかい?
彼 : なんだい、唐突に。大人になってから観るひとはあんまりないだろう、ふつう。
私 : ということは昔は観ていたということだね。ドラえもんの秘密道具に「正直太郎」というのがあるだろう?
彼 : ああ、たしか腹話術師が使うような人形で、それを持っている人の思っている、ありとあらゆることをあけすけに話してしまうという、世にも恐ろしい人形だよね。
私 : ずいぶん詳しいじゃないか(笑)。
彼 : いや、あれはドラえもんの秘密道具のなかでも一、二を争うくらい恐ろしい道具だと思うよ。俺はとてもじゃないけど、あれを持って人前に立つ勇気はないよ。
私 : まあ、わかるよ。あんなもの現実にあったら人前に出られるもんじゃない。だけど、あれは実際、どういう仕組みになっているんだろう、ということを考えてしまうんだよ。持っている人の手の触覚を通してその人の脳へアクセスしているのか、あるいは脳波同士でコミュニケーションをとっているのか(機械に脳はないので正確には「脳波同士」はありえないが)、そしてどうやって他人の「思惟」にまでアクセスしているのか、当然そこには概念や言語規範やあらゆる感情、判断、表象などが関わってくるはずたからね。
彼: 昔、情報科学者の人間機械論では文字の意味をパターンから引き出そうとしているとして、三浦つとむが批判していたよね。
私: それはかつて彼が〈情報科学〉やサイバネティックスのタダモノ論的解釈、すなわち人間の精神活動を数学的モデルや電気生理活動に還元してしまうというタダモノ論的解釈を正しく批判した通りだよ。生きた人間の表現の場合、「対象」→「認識」→「表現」の各過程は〈像〉として反映し合っており、中間に認識(非物質)をサンドイッチした三層構造から成る〈像〉の形成の論理が存在するのであって、物質的な論理で終始しているわけではないから、ここを技術者がどのように把握するかが重要なポイントになってくるのはたしかだろう。形式論理でこのことを理解することは無理だろうし。しかも言語の場合、主体的表現と客体的表現とがあって、主体的表現は話し手の自我に関係する認識の表現だから、これを別の実体である機械が表現するのはどういう仕組みになっているのか、ものすごく気になるところだよね。
彼 : 話が難しくなってきたな。
私 : わるいわるい。でも、少なくとも規範のレベルでは、すべての単語を主体的表現、客体的表現、両者の中間的表現に分類し、整理することが必要になってくるだろうね。また、各国語ごとにそれを行なうことで、相互に翻訳もしやすくなるだろう。さらには、言語表現にともなう非言語表現についても同じことがいえるだろう。まあ、そういう難しい話はとりあえず置いておいて、正直太郎の話の流れは覚えているかい?
彼 : いや、もう忘れたよ。もうテレビのドラえもんも観てないからね。
私 : のび太は、叔父が好意を持っている女友達に対して告白することができるような道具をドラえもんにおねだりするんだけど、そこでドラえもんは正直太郎という人形を出して、のび太に渡すんだ。すると、正直太郎は「ドラえもんはいつ見ても、おもしろいゆかいな顔だなあ」と言ってしまう。
彼 : あ、思いだした。それでドラえもんが「きみはそんなこと思ってたのか!」って怒るんだよな。
私 : そうそう。正直太郎は「いま思ってること」だけじゃなくて、「ふだん思ってること」も喋るのか、って話だよね。
彼 : 人形持っている側はたまったもんじゃないね。しかし、ドラえもんからすると、このネコ型ロボットを作った人間に言ってくれ、って感じだろうね。
私 : まあ、これは重箱の隅をつつくような指摘だったね、次なんだけど、のび太のママが「きのう学校でテストあったでしょ、見せなさい」というと、のび太は「先生が休んじゃって、テストなかったんだ」とウソを言う。そしたら正直太郎が「ホントはあったんだよ。でも、0点とったから。しかられるのイヤだから…」と言ってしまい、というコントみたいな流れになるんだよ。
彼 : ホントに恐ろしい人形だな。そんなものホントにあったら、たとえば会社なんかに持っていった日には、同僚の間や、上司と部下の間、異性の間などで争いが起こり、社会の秩序が即座に保たれなくなることは火を見るより明らかだね。
私 : 満員電車なんかに持って入ったら、もっとひどいことになりそうだね。
彼 : アメリカに持って行ったらすぐに銃弾が飛び交いそうだね。
私 : かりに世界中の人が一体ずつこの人形をもったとしたら、世界中がバトルロワイヤル状態になるだろうね。
でも、一方で、正直太郎だったらいろんなことが分かるんだろうね。たとえば、2019年11月15日に桜を見る会の前日の五千円夕食会について、銀座久兵衛の主人が「うちの寿司は出していない」と言ったときの「うち」の意味(〈運用概念〉)も分かるんだろうね。あの「うち」が「銀座久兵衛のみ」を意味するのか、「久兵衛全体」を意味するのかによって、国会の議論にも大きな影響があっただろうからね(プチ鹿島氏の記事【文春オンライン2020年2月18日】より)。
彼 : たしかに、2020年1月27日、安倍首相はあの発言を「久兵衛全体」ととらえ、それを根拠に野党の発言を「デマ」よばわりしていたからね。正直太郎がいたら政治的にいろんな疑惑がはっきりしそうだね。
俺だったら、2019年6月4日の麻生太郎発言に使ってみたいね。
私 : なんの話だっけ?
彼 : 「100まで生きる前提で退職金って計算してみたことあるか? 普通の人はないよ。そういったことを考えて、きちんとしたものを今のうちから考えておかないかんのですよ」。年金資金だけじゃ生活が成り立たなくなるって話なのに、どんだけ上から目線なんだよって普通のひとは思うよね。
私 : じゃあ、そこで観念的自己分裂をしてその時に戻り、麻生太郎に正直太郎を持たせてみよう。
彼 : よしきた、麻生さん、ハイ!(観念的な世界の中で人形を投げる)
《 正直太郎「じつは公的年金資金の運用に失敗しちゃってさ、充分な年金を提供できなくなることは確実だからさ、なるべくみんな自分のことは自分でまかなえるようにしてほしいんだよね、これから話すのはそのための目安となるお話さ!」》
私 : あきらかに暴動が起こるな(笑)。ぼくは2020年2月28日の麻生発言に使ってみたいね。
彼 : なんだったっけ?
私 : コロナ禍で、小中学校の臨時休校の際、学童保育などにかかる出費について政府は臨時支出するのかと質問がでたときの発言、「つまんないこと聞くねえ」だよ。なぜここで「つまんない」という言葉が出てくるのか知りたいんだよね。だから、このやりとりをメディアに批判されたときの麻生さんのところへ行こう。
彼 : よしきた、麻生さん、ハイ!
《 正直太郎「俺には資産があるし、国会議員としての高い給料その他付随するものもあり裕福だから、一般の人びとの中に非正規雇用が4割いて、共働きでないと生活が成り立たないという現実や、学童保育に子どもを預かってもらえるかどうかが死活問題だというレベルにまで、庶民の生活はひっ迫しているということは分からなかったんだよ。だからつい〈つまんない〉って言葉が出ちゃったんだよね。」》
私 : なるほど、生活レベルが違いすぎて庶民の暮らしに想いを馳せることができなかったということか。ただし、世の中には、金持ちでも思いやりのある人はいるからね、誤解のないように。
彼 : 了解了解。では、最後に、2020年2月12日、立民の辻本議員に対する安倍首相の「意味のない質問だよ!」という発言について、やってくれるか?
私 : よしきた、安倍さん、ハイ!
《 正直太郎「そんなに責めないで!」》
彼 : やっぱりな(笑) 意味のある質問じゃないか。
私 : しかし、本当のことを言っているのに、忌み嫌われる正直太郎はかわいそうだな。
彼 : 正直太郎の心のケアをしつつ、大事にして、またこれはという時には使わせてもらおうじゃないか。
私 : それはいい考えだね。三年寝太郎にならないようにしないとね。
(2020年7月20日記す 2026年4月20日更新、再掲)