電脳文字対話 26(旧悪露顕社会を生きる)
《 (巣鴨プリズンの−−引用者)第五棟では狭い独房に二人暮らしが原則である。これはかつて自殺を図った若い死刑囚がいたため、防止策としてとられた処置という。
起床は朝五時、部屋の掃除、洗面、体操、冷水摩擦、読書や書き物ができるように寝具を丸める。終われば各自読経など。朝六時から朝食、食事当番が食事を配る。食後は新聞の回覧、週に二、三回、運動がある。三面をコンクリート棟に囲まれた中庭を三〇分ほど散歩する。衛兵に前後左右を取り囲まれ、二人ずつ手錠につながれて六人一組でぐるぐる回りをするだけである。見えるものは庭の中央のヒマラヤ杉と空、そして金網が張られた渡り廊下越しの広場を歩く人影、もちろん他棟の収容者である。月曜日と金曜日の午前には入浴。昼食、読経、読書、書きものに時をすごし、夕食、食後の訪問時間、就寝。
この単調そのものの生活の重要関心事は食事である。朝食は、蒸しパン一個、スープ一杯、チーズかバター、クリーム、缶詰の果物であるが、鳥巣は砂糖たっぷりのコーヒーが楽しみだった。タバコの配給もあった。夕食には魚もつく。ときには刺身が出たこともあった。外の世界では刺身など食べられない時代である。
「今夜は危ないですよ、お刺身があったから」と先輩死刑囚がささやく。刺身の日にはきっと死刑執行があるという。
巣鴨での死刑執行は金曜日と決まっていた。執行される死刑囚はその前夜、房から出されて、プリズンの東北隅にある死刑場に移される。したがって木曜日は魔の曜日である。人々は朝から緊張し、兆候を窺う。
花山信勝(しんしょう)教誨師(きょうかいし)から交代した田嶋隆純(りゅうじゅん)師の教誨は木曜日である。死刑執行があるとき師はそのままプリズンに泊まり、翌日の執行に立ち会う。したがって田嶋教誨師が「これから帰宅します」と言うと歓声が上がる。
教誨師が泊まると決まった日は、全員が息をつめている。どんな物音も聞きのがさない。廊下に看守の足音が響きはじめる。「もしや自分の房か」。遠く、近く、ガチャガチャと錠を開ける音、「自分ではなかった」、ひそかな安堵。やがて、下駄の音、「お世話になりました」「お元気で」、交わされる別れの言葉、遠ざかる足音、湧き上がる念仏の声、ときに賛美歌。
「あの人もやられるのか」、四十数人の心が凍る。ついで「自分はあと一週間生きられる」
この年、一九四九年は死刑執行が続いていた。
死刑囚はどんな気持で日々を過ごしたか、鳥巣は獄中日記で語っている。
最初、悲嘆と絶望の真っただ中にのたうちまわる。感情も知性も一瞬にして打ち砕かれ、人間の最大の欲望である生存欲を奪い去られ、しかも日々周囲の人が処刑されていく。ここで教誨師から極楽浄土の有様を聞かされ、縋(すが)りつく。しかし、少し経つと疑問が湧いてくる。素直に教えを聞けなくなる。そして素直になれない自分を反省し、自らを責める、堂々巡りが始まる。果てしない動揺が続く。その間にも処刑は続く。月日を重ねるうちに心は波打ちながら落ち着くところへ落ち着いていく。こうして死を受容する》(熊野以素『九州大学生体解剖事件
七〇年目の真実』【岩波書店、2015年】172~174頁より)
彼 : なんだいなんだい、いきなり。巣鴨プリズンって、たしか戦後連合国軍が接収した東京の拘置所で、戦争犯罪人として逮捕された政治家や軍人などが収容されていた所だろう。
私 : そう。この描写は、1945年春に九州大学で行われた米兵に対する生体実験手術の一部にはからずも参加してしまった、当時医学部第一外科の助教授だった鳥巣太郎という人が、何ら積極的加担者でもなかったにもかかわらず、さまざまな事情からいつのまにか首謀者のひとりとされてしまい、絞首刑を言い渡されてしまうという一連の出来事について書かれた本からの引用なんだけど、この本は、その裁判の後、鳥巣氏の妻の壮絶なまでの尽力奔走により減刑を勝ち取るに至る、という一連の出来事を、この二人の姪が新資料を紐解きつつ解き明かした本、というわけだ。
彼 : 「戦犯」とはいえ(実際は「消極的参加者」と言うべきか)、絶望的な状況の中で自分の死を受容していく、その過程の描写には筆舌に尽くしがたいものがあるね。
私 : たしかに。もしや自分が明日、十三階段を登らされるかもしれぬ、という状況下で平静を保っていられる人などそうはいないだろうからね。ただ、この本の中に出てくる人物でひとりだけ例外的な人物・岡田中将という人がいて、この人は、1945年に起きた「東海軍事件」の全責任を負ってB級戦犯となり、軍事裁判で絞首刑を言い渡され1949年9月に巣鴨プリズンで処刑された人だけれども、早くから自分が事件の全責任を取って死ぬことを受け入れ(事件の背景をも含めた自説の主張は裁判にて行なったが)、死の2日前に鳥巣氏に「来なさんなや」と伝えたあと、泰然として十三階段を登って行って亡くなられた方だ。
彼 : すごいね。なかなかそういう人はいないだろうね。
私 : たしかに、多くの人にとって、彼のように自分の死を従容として受け入れるのはなかなか難しいことだろうね。この本には、1948年8月27日、すなわち横浜軍事裁判の判決があった日の鳥巣太郎氏について次のような記述がある。
《 巣鴨プリズンに戻ると、裸にされ身体検査、第五棟に収容された。そこは誰もが恐れる死刑囚だけの棟だった。
鳥巣の八月二七日の日記には、「判決の日なりし。法廷を出づる時、静かに合掌してゐる人が眼についた。いたく脳裡にやきついてゐて、いつまでもその人の姿が消えない、思へば思ふほど目に新にして、覚えず涙があふれ出る」(獄中日記)
後の回想では、「この世の地獄とも恐れ、あそこだけには行きたくないとひそかに念じてゐた五棟の房に、夢にもあらず、この身自ら閉ぢ込められねばならなくなつて、私は、気味悪い暗雲のヴエールにでも被はれた重苦しい感じに」思い迷い、一方「やれやれとうとう来るところに来てしまつた」というあきらめに茫然とする。「愈々死ぬといふ日までには尚まだ半年余りはあるだらうが、それまでこのニ畳にこもつたまま……これからの一日一日がどんなに長く、そして又辛いことだらう」と案じる》(熊野以素『九州大学生体解剖事件
七〇年目の真実』159~160頁)
彼 : そんな状況になったことがないけど、自分がもしそんな状況になったらと仮定するだけで、かなり精神的にしんどい気がするね。
私 : これとまったく同じ状況ではないとしても、何かこれと似たような状況を思いつかないかい?
彼 : いや、思いつかないね。
私 : たとえば、死刑の判決を受けないまでも、あらゆる仕事を奪われ、世間から身を隠して生きていかなければならない人たちがいたとしたら、どうだろう?
彼 : ああ、最近、過去に雑誌に陰惨な「いじめ体験」を大っぴらに告白していたことが話題となり、東京五輪・パラリンピック開会式の楽曲担当を半分強制的に辞任させられた小山田圭吾氏や、過去のユダヤ人虐殺に関することをお笑いのネタの中に使用したことが発覚し、同開会式の「ショーディレクター」を解任された小林賢太郎氏などのことか。でも、彼らのしたこと言ったことは、そう簡単に許されるものではないだろう。
私 : そう、人の過ちにはいろいろな種類があり、かつその罪の軽重にも個別にさまざまな深度があるけれども、彼らのしたこと言ったことは非常に重く、簡単に許されるものではない。だけれども、彼らは何も裁判で有罪となり刑に服するわけではなく、これからも私たちと同じようにこの社会で生きていかねばならないのだよ。
彼 : まあ、たしかにそうだね。
私 : だとするならば、どこかの時点で何らかの「手打ち」をして彼らを社会に受け入れるようにしなければならないと思うのだけれど、どうだろう?
彼 : たしかに、過去の悪行や過ちや心無い発言のために、裁判によらず、命まで捨てなければならないというのは、窮屈な社会で、それはそれで住みにくい社会だよね。
私 : そう。であるならば、どこかの時点で何らかの「手打ち」が必要だよね。
彼 : たしかに。
私 : PCやスマホを多くの人が持ち、インターネットがこれほど普及した現在、ぼくはこの社会は基本的に「旧悪露見社会」だと思っている。かつてはしばらくすると忘れ去られたことも、忘れ去られずにデジタル検索網の中に記憶・記録され続け、いつでもすぐに検索されうるようになっている。今この現在も、身に覚えのある悪事や過ちが公になることに不安を覚え、ビクビクしている人は無数にいるだろうことは想像に難くはない。
彼 : まあでも、SNSの発達により、かつては公にならず隠蔽されていたであろう犯罪や悪行が明るみになるという、良い面もあることはたしかだろう。
私 : たしかに、そういう面もある。たとえば韓国では、過去の性犯罪者の個人情報を一般市民がウェブやアプリで検索して簡単に知ることができる。ただ、日本のような匿名性の高いネット環境においては、嘘や「デマ」や「半分だけ正しい意見」のようなものが氾濫しているのも事実なんだよ(もちろん小山田氏や小林氏の例がそうだというわけではない)。
彼 : で、その「旧悪露見社会」における「手打ち」って、たとえばどういうのがあるんだい?
私 : これは正確には「手打ち」ではないのだけれども、たとえば、社会学者の宮台真司氏はドイツの「贖罪」を例に出し、小山田問題に関して、「どこがダメだったから、今なにをしている」ということを永久に言い続けることによって信頼を回復することが重要だということを言っている(『Abema
Times』2021.8.5)。
彼 : ようするに一回の謝罪で済ませずに、誰かに問われたらそのだびに、何が問題だったから、今あれをしている、これをしている、と表明し続けるということだね。「手打ち」ではなく、継続性のあるものだね。
私 : そう。宮台氏の弟子筋に当たるダースレイダーさんによると、いまだにヨーロッパではホロコースト関連の新しい映画が作られており、その都度新しい事実が明るみになったり掘り起こされたりしているらしい(You
Tube番組『ヒルカラナンデス』第66回【2021.7.23】)。で、加害者側はそれに対してその都度謝罪したり説明したり対応を迫られている、そういうことが当たり前となっているらしい。骨の折れることかもしれないけれど、非常に重い内容の過ちや行ないだった場合、普通に社会に適応して生きていこうとしたら、そういう営みが必要になってくるのではないだろうか。
彼 : なるほど、それはそうかもね。
私 : ただ、今回ぼくが思ったのは、小山田問題にしても、小林問題にしても、ぼく自身を含めた社会にも多少の責任はあるのではないかということだね。おそらくぼく自身、当時小山田氏のインタビュー記事や、小林氏のコントを見ても、抗議の電話はしていなかったのではないかと思われるからだ。
彼 : 日本の社会自体に、(たとえわずかであったとしても)、そういう行為や発言の存在する余地を与えてしまっていた面がある、ということか。
私 : そう。爆笑問題の太田光がラジオ(『爆笑問題カーボーイ』2021.7.20)で言っていたことはおそらくそういうことだと思うよ。これらの問題を個人を攻めることで済ませていては問題の解決にならない、無数の消極的加担者の存在を可視化する必要があるのではないかということを、おそらく太田は直感的に感じていたんだろうね。その意味では、小山田氏のその他の暴言について28年前のラジオ番組ですでに自省を促す発言をしていたバンド「SING
LIKE TALKING」の佐藤竹善氏のような存在は貴重なのだよ(『東スポweb』2021.7.30)。
また、今回の一連の発言は言語学的側面からも考察しうる問題であり、時枝誠記の理論からすれば、言語の「存在条件」である、「主体」「場面」「素材」の「場面」に深く関わってくると言えるんだけれど、これはまた別の機会に論じることにしよう。
彼 : そうだね、俺ももう疲れてきたよ。
私 : 最後に、鳥巣太郎氏の「獄中日記」に綴られていた歌をニ句ほど紹介して終わりにします。
《いつまでも生くる命と思はねどわが絞首刑いまだ信ぜず》(鳥巣蕗『再審査』【葦書房、1982年】238頁)
《凍てし夜を永遠に死につく幾人か静かに廓を去り行きにけり》(同239頁)
(2021年8月9日記す 2026年4月22日更新、再掲)