三浦つとむの「学問言葉」改革案
休みの日に書類を整理していたら、三浦つとむ(当時のペンネームは高木場務〔たかぎばつとむ〕)の昔の雑誌に掲載された珍しい文章のコピーが出てきたので紹介しておきます。『思想の科学』1948年11月号に掲載されたもので、「きいてわかる学問言葉を作る会」という討論会に三浦は「紙上参加」というかたちで、文章を寄せています。ここで三浦つとむはまず、日本の学問言葉の混乱した状況について、その原因を共同討議や討論がしっかりなされずに来たことや、進歩派を含めた日本の学者の封建性に由来するものであることを指摘します。以下、それに続く部分です(改行は読みやすいように多少変えてあります)。
《 ところで、学問言葉がわたしたちの話し言葉からかけはなれた、むずかしい漢語であるという現状、多くの人たちが学問の世界に入りたくても、このわかりにくい学問(言葉)がさまたげになっている現状をどう打ちやぶるかという問題になると、日本語全体の改革ということと関係づけて考えて見なければならないと思います。外国の学問言葉は日常の話し言葉からできているし、日本でもそうあるべきだという意見があります。科学者のなかでこれを実践している人も知っています。牧野富太郎先生の仕事など、わたしたちの模範とすべきだと思います。だが、これには限界があります。重要なことであり実行しなければなりませんが、限界を無視することはできないでしょう。外国とちがって、日本の学問言葉は漢字の体系の上につくられたものが多いのです。言葉の体系からでなく文字の体系からつくられているというところに、日本語の特殊性と、それからくる制約を考えなければなりません。
今の日本語から漢字を追放するという問題があらわれています。遅かれ早かれ、これは実行されるでしょうし、将来の日本語は、必ずや学問用語も話し言葉の体系の上につくられるでしょう。こういう日本語の改革を考えに入れて、漢字の体系を意識的に追放するという立場に立って学術用語を考えてみると、いまの日本の話し言葉から学問言葉をつくるという仕事の限界は、外国とちがってずいぶん狭いものです。日本語全体、学問言葉全体という観点に立って改革を考えるとき、部分的には現在「きいてわかる」学問言葉を「きいてわからない」学問言葉にあらためる必要さえ出てくるでしょう。ボイラの「雨戸」を「ダンパ」にあらためるなどはわかりにくくする例でしょう。 liberalism,
idealism, facism が自由「主義」、観念「論」、又は唯心「論」、ファシ「ズム」などといろいろ呼ばれている。 worker と labourer が同じく「労働者」と呼ばれている。
voltage が「電燈」で voltmeter が「電圧」計で、 millivoltmeter がミリ「ボルト」計と書かれる。 talkie と
sound picture はいずれを採用したらよいか。略語や符号はどうきめるか。
——問題は、個々の言葉を切りはなして検討したり、漢字で書いたのを片カナにしたりするだけでは片づかないように思われます。現在、学術研究会議の「学術文献調査研究特別委員会」で学問言葉の選定をやっている。学界の代表が集って打合せ会を開いている。その模様を見ても、学問言葉の改革を日本語全体の改革と考え合せて、全体的な体系的な検討をするという点ではまだ考慮の足りないところがあるようです。
「きいてわかる」学問言葉をつくるということは必要であり重要です。だが、現在「きいてわかる」ものをつくることだけを考えてはならないでしょう。現在「きいてわからない」学問言葉が、やがては「きいてわかる」言葉に転化し、学問言葉から話し言葉にはいってくることを忘れてはならないでしょう。さすれば、現在日常の話し言葉と全くかけはなれた専門的な学問言葉を正しく科学的に改革しつくりあげることが、現在の日本に於て特に重視されなければなりますまい。学問言葉と日常の話し言葉との交流を考え、学問言葉が現在も将来も日本語全体の大きな部分を占めることを考え、学問言葉の体系・構成が日本語全体のそれに大きな関係をもつことを考え、日本語の改革の仕事にたずさわる人たちが学問言葉の改革にもっと深い関心をもってもらいたいと思います。現在の話し言葉から学問言葉を改革するという仕事も、その学問言葉を媒介として更に話し言葉を改革することにもなり、また将来の話し言葉となるべき学問言葉を科学的につくりあげることは、日本語全体を科学的に改革するための大きな推進力を用意することを意味します。この話し言葉から学問言葉への働きかけ、つながりをつくる仕事と、学問言葉から話し言葉をつくり出すための仕事との併行・交流にあたらしい日本語運動の重要な分野を認識し、学問の仕事にたずさわる各専門家、言語学者、ジャーナリストなどが真剣に地味にねばりづよくこの仕事ととりくみ、協力して活動していくことが望ましいと思います》(三浦つとむ「きいてわかる学問言葉を作る会」への「紙上参加」への投稿文より。【『思想の科学』1948年11月】所収。傍線は原文。太字は引用者)(※なおここでの三浦の肩書は、「民科芸術部員、言語学研究」となっています)
現在であればカタカナ語の問題も俎上に挙げなければならないでしょうが、三浦のひらがなを多用した独特の論文記述のありかたの原点を見たような気がします。いまだに傾聴に値する改革案だと思います。ドラマ「らんまん」のモデルとなった牧野富太郎氏への言及もあり、時代を感じさせるしワクワクさせられますね。「ああ、偉大な独学者がもうひとりの偉大な独学者に言及してる!」となりますね(笑)
(2024年1月29日 脱稿)