「悪い顔」の正体

老婆の「悪い顔」

 

 ここではごく短く、「社会とのつながりにおける個人」というものを日本人や欧米人はどのように意識しているか、ということについて、あるYouTuberがスペインで経験したエピソードにからめて考えてみたいと思っています。


 YouTuberのK氏はあるYouTube動画の中で、2023年9月にスペインへ旅行に行った際の話として、次のような体験を紹介しています。彼はサン・セバスティアン大聖堂の出口でひとりの物乞いの女性に100ユーロを恵んだらしいのですが、そのときK氏は「ありがとうございます!」と感謝されるかと予想していたらしいのですが、老婆は素早くその100ユーロ紙幣をこそっとポケットに仕舞いこんでてしまったとのこと(おそらく、お金をいれてもらう紙コップの中にそんな大金があったら誰も恵んでくれようとしなくなるものと思われるため)。で、K氏によると、そのときの老婆の顔の表情がいかにも「しめしめ」というような「悪い顔」をしていたとのこと。K氏は予想がはずれただけに、この「悪い顔」が相当印象に残ったようすでした。最初は私もこの話を何気なく聞き流していたのですが、三浦つとむの家庭論や社会的人間観についての論考を読んでいるときに、ふと気づくことがあったのでそれについて簡単に書き記しておこうと思います。

 


三浦つとむの社会的人間観

 三浦つとむは、「日本の家庭」という論文(『生きる・学ぶ』季節社、1982年)のなかで、日本と欧米、それぞれの社会における社会的人間観というものの特質について具体的に論じています。

 三浦つとむはまず、洋の東西を問わず、人間の本質を「社会とのつながりにおける個人」という観点からとらえ、次のように述べています。

《…マルクス主義の人間観は、個人主義に対立して、社会的なつながりにおける個人を説く点に特徴がある。アメリカ人的な、私は誰からも何一つ恩義を受けていないという思想にきびしく対立して、自分の力だけで育った人間などは存在しないと主張する。ベネディクトや川島(武宜)をももちろんふくめて、われわれが現に毎日家庭で使用し消費している生活資料も、ほかならぬ他の人間の労働の産物ではないか、現に毎日われわれは他の人間のために生活資料を生産したり運搬したりしているではないか、われわれは生産において自分の労働を対象化し、交換によって他の人間の労働を受けとり、消費によって自分自身に対象化し、かくして肉体的にも精神的にも相互につくり合って生きているではないか、と主張する。諸個人は、いわば相互贈与の巨大な網状組織の中に位置づけられ、労働を交換しながら生活し生長していくという人間観である》(三浦つとむ「日本の家庭」【『生きる・学ぶ』所収】太字は原文)

 これを「マルクス主義的人間観」という偏見でもって一刀両断にするのはたやすいことですが、そういうひとでも、さすがに人間が「肉体的にも精神的にも相互につくり合って生きている」ということを全否定することはできないと思います。なぜならそれは私たちの日々の生活の実感がそう感じさせているからです。私たちが毎日食べている食料や毎日着ている衣服は、たくさんの人が関わってつくられ、そして移動して運ばれてきているものです。吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』では、コペル君が粉ミルク缶が外国の原産地から自宅に届くまでの複雑な過程に思いをはせることで、「人間分子の関係、網目の法則」を発見するところが描かれていますが、コペル君のおじさんはその「人間分子の関係、網目の法則」を「生産関係」だと表現します。上記の三浦のマルクス主義的な人間観は、この近代的な「生産関係」をも含んだ社会的なつながりの中で人間の本質を規定したものだといえるでしょう。

 


日本人の社会的人間観

 一方、日本人大衆の伝統的な社会的人間観について、三浦は次のように述べています。


《…ベネディクトの指摘した日本人の社会的人間観は、同じこと(さきほどの「相互贈与の巨大な網状組織」)を受け身のかたちで素朴にとらえたもの、といえよう。
 昔から日本人が食料として来た米や魚など、「山の幸、海の幸」は、一面では農民や漁民の労働の結晶として、他面では自然のめぐみとして、社会的な面と自然的な面との統一である。人間が自然にささえられ他人にささえられて生きていることはいうまでもない。まだ生産力がきわめて低く、自然の「おかげ」の面を強く意識していた昔の日本人は、人間が相互につくり合う相互贈与の能動的な関係を、人間が相互に負債を負う相互債務の関係で、自然と同じように受け身のかたちで世間の「おかげ」としてとらえたのであろう》(前掲書、太字は引用者)

 『菊と刀』を書いたルーズ・ベネディクトが日本社会に親兄弟や祖先をも包含する相互債務の巨大な網状組織が存在することを指摘したことは有名ですが、三浦はそれは「相互贈与の巨大な網状組織」を、資本制生産関係の発展していない日本で日本人が自然の「おかげ」として素朴に受け身的に把握した結果のものであるといいます。さらに三浦は、日本人大衆は「受け身」とはいえ、こうした「網状組織」をもっている分だけ、「自分は誰からも何一つ恩義を受けていないと日ごろ思っているアメリカ人」やベネディクトや川島武宜らよりは正しい理解に近いと指摘します。


欧米人の社会的人間観の拠ってきたるところについて


 では、なぜ欧米人には「自分は誰からも何一つ恩義を受けていないと日ごろ思っている」ひとが多いのでしょうか? 三浦はそれについてふたつの側面から説明しています。


《…けれども日本と欧米とでは、物質的生活の側面でもイデオロギーの面でも、条件がちがっている。物質的生活の面では、生産力が低くかつ停滞的であるばかりか、小さな島国で鎖国状態がつづき各藩が封鎖的な経済をいとなんでいた日本と、大陸での民族の大移動や大洋を越えての植民地の獲得や他民族からの侵略や遠征や陸上海上の大規模な交易などが行われ、産業革命以後生産力の急激な発展と世界交通を実現し得た欧米とでは、大衆の意識にも当然ちがいがあらわれてくる。生産力の発展、分業の発達、交通形態のひろがりと深まりは、個人が直接むすびつきその経験の中に入ってくる網状組織の部分を相対的に小さなものにし、間接にむすびついていてたぐることのできない部分をますます膨大なものにしていく。もはや「世間のおかげ」を具体的にとらえることができなくなったばかりか、個人と個人との交通の中間に貨幣が存在するために、これが「金のおかげ」と考えられることにもなっていく。貨幣を財産としてかかえている人間も、その貨幣を食べて生活しているのではなく、これと他の人間の生産した米を交換し生活資料を手に入れて生活しているにもかかわらず、他人の世話にならずに自分の力だけで生きているのだと信じるようになる》(同、p181。太字は引用者)

 この資本主義の発展にともなう生産力や交通形態の発展が人びとの網状組織のありかたを変えていく現象は、戦後の日本にも顕著になっている面があると思いますが、欧米ではずいぶん早い段階からそうなっているということのようです。別のいいかたをするならば、物質的生活の発展によりいわゆる「世間のおかげ」を感じにくくなっている、ということですね。


「悪い顔」の本当の意味

 もうひとつは宗教です。


《…彼ら(アメリカ人)は、天にまします神からつねに恩恵を受けているものと信じている。たとえば、リンカンがスプリングフィールドで弁護士をしていたころに、その手紙の中につぎのように書いている。「神は一羽の雀の地に落ちるのさえ気に留め、われわれの頭の毛まで数えておられます。」これは日本人大衆の神についての考えかたと異質のものである。また、ウェブスターの『あしながおじさん』には、百ドルの小切手を恵まれた貧しい家の母親が「おなさけ深い神様、ありがとうございます!」とさけぶ場面がある。この小切手を届けて来た女主人公は、「神様なんかじゃないのよ、スミスさんよ。」というのだが、母親は「でもその方にこういうお考えをお持たせになったのは神様でございますよ。」といいはる。「そうじゃないのよ、私がスミスさんにおねがいしたのよ。」と女主人公は訂正するが、母親はあくまでも神様だと信じている。このように、人間が現実につくり出している網状組織を、ありのままに忠実にとらえようとはしないで、現実から目をそらし、因果関係を観念的にバラバラに切りはなして神へとむすびつけようとする傾向が、大衆の中にしっかりと根を下しているのである。「巨大な網状組織」は認めても、それは人間相互のものではなく、神によって媒介され動かされているものと信じられているのである。日本人の社会的人間観は、神の存在と干渉を認めても、このような大きな役割を認めてはいない》(同、P182~183。太字は引用者)

 ここで冒頭のK氏が見た老婆の「悪い顔」の話に戻るのですが、K氏はその老婆の顔を見て、裏に犯罪組織があるのかもしれないと推論を述べておられましたが、私は以上のような三浦の論述を再読し、おそらく老婆も100ユーロ恵まれたことをK氏のような「人間のおかげ」ではなく、「神様のおかげ」と考えているのではないだろうか、と思い直したのでした。K氏が帰ったあと、老婆は天に向かって感謝の祈りを捧げていなかったと誰がいえるでしょう。

 以上のようなふたつの理由から、欧米人は「相互贈与の巨大な網状組織」を感じにくくなっている、というのが三浦の解釈です。こうした議論を踏まえたうえで、「日本の近代」をめぐるさらなる議論に踏み込んでいきたいと考えているのですが、といっても、ここではそこまで本格的な論文としてではなく、とりあえず山本七平がとりあげた日本特有の「空気」というものについて論じる前段階の雑文程度にしておこうと考えているのですが、日本特有の「空気」の謎を解く鍵はここらへんにあるのではないかと何となく予想しているのが今の段階です。どうやら自分がこの「日記のようなもの」を備忘録的なものとして利用しようとしていることが次第にはっきりしてきたようです。

 



(2024年1月31日)






2024年01月29日