米津玄師が人とのコラボを始める過程について

 先日、シンガーソングライターの米津玄師が地上波のテレビのトーク番組に初出演(TBSテレビ『日曜日の初耳学』【米津玄師×林修】2024/8/25)ということで、ココイチが好きだという意外な側面が明らかになりSNS界隈ではいろいろと盛り上がっていたみたいですが、その番組の中で、米津玄師がボカロを卒業して表舞台に立つことを決意した経緯について自ら語っていました。いわく、ボカロの世界は受け皿が広くて心地よいものがある一方で、そこに居続けるということもそれはそれでまた狭い世界でもあり、自己完結ができるということの半面また窮屈な側面もあるということで、小さいころから、名前や顔を出して音楽活動をしている人たちに憧れていた自分のことを思い出し、2012年についに実名・顔出しでアルバム『diorama』を発表するに至ったということです。

 番組では、その結果、菅田将暉とのコラボ曲「灰色と青」やいまや国民的ソングとなった「Lemon」などが生み出されることになったとなっていましたが、以前私がエッセイ(「生きることの意義について」)で紹介したように、実は実名・顔出ししたのち、「そこから「灰色と青」(2017)や「Lemon」(2018)が生れるまでには、もう一段階、紆余曲折がありました。

 米津玄師は、実は2012年に満を持して発表したアルバム『diorama』の世間での受け入れられかたに違和感を覚えています。以下、特別ラジオ「米津玄師■と、Lemon」の内容を私が要約したものです。

《このアルバム(『diorama』)は自分の中では、完璧なJポップで普遍的なもの。幅広い世代に受け入れてもらえるものと信じていたのに、現実はそうではなかった。そこにズレがあった。このズレが何なのかについて、必死に考えた。このズレと向き合う必要を感じた。じゃあ、どうすれば多くの人に伝わる音楽を作ることができるのか?

 机の上にいろんなものを並べた。普遍的なものとは何か。人と人との間にある共感とかルールとは何か。そしてそれはどこから生れてくるものなのか。

 1年くらいずっと考えた。そして1年間の中でいろんな答えが見つかって、その中のひとつが、

 

『人と一緒にやっていく!』

 

『人と一緒に美しいものを作っていく!』

 

で、自分以外の誰かとの間に見つかる共通した部分、ルールとかそういったものを大事にしていく。そういうことがあるから、人に伝わるものになる。自分なんてしょうもないんすよ、基本的に。生れてきた瞬間から、人間は社会的な生き物であって、まあいろんな倫理観だとか、道徳だとか、そのコミュニティにおいてのいろんな所作を教えられながら生きてくるわけじゃないですか。そのいろんな積み重ねの上に自分がいるわけであって、そこで自分の肉体の中にあるものだけを見つめて行ったところで結局それは見つめて行けば行くほど外へ向いて行くしかないんですよね。まあ、(2012年から2013年にかけては)仲間を作るっていう1年になったと思うんですけど、それによっていろんな美しくもしょうもない友だちがいっぱいできまして、まあ、それによって今の自分が成り立っているなあっと思いますね》(特別ラジオ「米津玄師■と、Lemon」より)


 「自分なんてしょうもないんすよ」と言いますが、実は米津玄師自身も「自分は大切だ」と思っているはずで、そのうえで、「でもそれだけでは多くの人に伝わる普遍的なものは作ることが難しい」という認識があって、そこから考えに考え抜いた結果、多くの人と関わっていこう、広く社会と関わっていこう、他人や社会と関わって生ずる化学反応に、その変化に身をゆだねていこう、という前向きな意識に変わっていった、という過程が存在するわけです。その結果生まれたのが菅田将暉とのコラボ「灰色と青」であり、大ヒット曲「Lemon」であり、紅白初出場であった、ということになります。個人的には、上のたくさんできた「友だち」を形容する「美しくもしょうもない」という言葉に米津玄師の友だちに対する愛情を感じます。美しい表現だなあと思います。

 ———以上、米津玄師が実名・顔出しでアルバム『diorama』(2012)を発表したのちに感じた壁と、それを克服していく過程について書いてみました。

 






(2024年8月27日)

2024年08月27日