「内発性の大事さ、楽しさに気づいた瞬間」について

 YouTube動画「日本を包む「ぼんやりとした不安」の正体とは?」(【むすび大学チャンネル】)の中で、川嶋政輝氏が高校生の時に自らが内発的になれた瞬間のエピソードについて語っています。なんでも、「大学受験塾ミスターステップアップ」に行ったときに、塾のパンフレットに「人はそもそも何のために努力するのか、考えたことがありますか? このことについて深い気づきがないと、いくら勉強しても勉強のコツはつかめない。内発的にこれが学びたいという気づきがないと、本当の学問に行き着かない」ということが書かれていたとのこと。川嶋氏によると、このときが自分の中に初めて内発的なものが出てきた瞬間だったとのことらしいです。

 おそらく川嶋氏は、若くして物事を理詰めで考えられる非常に優秀な方だったのだと思います。「体タイプ」の私が内発性についての気づきを得た瞬間は、もっと即物的で体感的なものでした。それは、大学を卒業してアメリカで語学留学をしていたときのことです。当時(22歳)私は週に2回くらいアメリカ人に日本語を教えるアルバイトをしていたのですが、その彼が大学で日本文学を専攻しており、当時島崎藤村のことを調べていて、いつも熱心に私にその内容について熱く語ってくれていたのですが、その姿や楽しそうな表情を見て、私は「ああ、やられた!」と衝撃を受けたことを覚えています。「やられた」という感覚は、いいかえると、学問とは本来楽しいものであるということをちゃんと教えてくれなかった学校教育から「(して)やられ(てい)た」という感覚です。その感覚は、時間の経過とともに、次第に「今まで自分は勉強の楽しさに気づいていなかっただけなんだ」という落ち着いた見解に収束していきました。また、その彼がことあるごとに「きみはこれについてどう思う?」とまだ何者でもない私に対して、真剣に意見を求めてきたこともある意味衝撃でした。これが「自由と平等」の国、アメリカというものか、と実感した経験でもありました。


 



(2024年2月6日)





2024年01月29日