われわれはどう生きるか

 

徳川封建制における家族観の推移

 前回、「悪い顔の正体」で私は、三浦つとむの社会的人間観について、大ざっぱに解説してみました。具体的には、社会的なつながりにおける個人というものをとりあげたところの、人間は相互につくり合っているという本来あるべき社会的人間観、それを「世間のおかげ」としてとらえた日本人の伝統的な社会的人間観、さらには「自分は誰からも何ひとつ恩義を受けていないと日ごろ思っている」欧米の個人主義的で資本主義的、かつキリスト教的な社会的人間観についてでした。

 今回は、江戸期および明治維新以降の日本における家族観の推移について、同じく三浦つとむの「日本の家庭」(『生きる・学ぶ』)という論文に依拠しつつ見ていきたいと思います。

 

 もともと江戸時代から日本人大衆は、封建的イデオロギーとは別に、生活から来る実感を大切にする現実主義的・経済取引的な面があり、相互贈与の巨大な網状組織の中にあって、個々のバランスシートをとりあげて、差引負債になっているときにこれを義理とか恩とか意識していました。徳川封建制の崩壊期にいたって、一時期、無条件絶対服従の儒教的イデオロギーが説かれたけれども、大衆には生活からくる実感があり、恩に基礎づけられた家族観や社会的人間観は消滅しませんでした。

《日本の孝は恩を条件とする孝で、儒教の無条件絶対服従の孝とはちがうといっても、その恩の内容がもはや一方的な贈与にもとづく一方的な感謝と服従に変化してしまっている(徳川封建制末期はすでに泰平の御代が長く続いた状態であり、家臣が長らく主君のために報ずるという機会が消失しており、バランスシートにおける家臣の側の負債が大きくなっていた――引用者)なら、事実上同じことであり、二十四孝その他がイデオローグによって大いに説かれたとしても不思議ではない。だが、封建的イデオロギーとは別に、大衆には生活から来る実感があり、恩を相互債務と見る社会的人間観は決して消滅していなかった。血縁のために親を扶養させられて寝る目も寝ずに働いたり、親の残した借財を相続させられて苦しんだりする人間は、親の養育による恩を認めながらも、それを一方的な負債だとは思えない。無条件絶対服従の孝を説かれても、生活から来る実感がそれに反発する。また親の側でも、子に苦労をかけていることを感謝したり詫びたりして、家父長としての絶対的な服従を必ずしも要求しない。落語の『二十四孝』で、熊さんが横丁のイデオローグであるご隠居さんのお説教を聞かされ、鯉をとるために裸で池の氷の上に寝れば、鯉をとるどころか氷がとけるのと一いっしょに落っこちるだろうといい、それは孝行の徳に天が感じて落ちなかったのだというご隠居の説明を冷笑するところに、大衆の持つ健康な面を感じることができよう。

 大衆の社会的人間観の上に立つ恩の意識は相互債務の意識であり相対的であって、この相対的な把握は、極端な場合には子が親を殺すことさえ肯定する結果になる。孤独で生活の道を知らぬ娘が腹黒い夫婦の養女として育てられ、この親の手で遊郭に売られたばかりでなく、その後も小遣いをよこせ飲み代をつくれそれが孝行だと犠牲を強要されているような場合は、親や養育のために払った犠牲と娘が親のために払った犠牲とのバランスシートも親のほうが大きな負債になっているものと見て、娘の愛人が娘を救うためにこの腹黒い夫婦を殺し娘と家庭を持ったとしても、大衆はこれを不道徳だとは意識しない。このようなケースは、講談の世話物にもしばしばあらわれている(「ねずみ小僧 次郎吉」など)》(三浦つとむ「日本の家庭」、太字は引用者)

 このように、日本人大衆の恩の意識は相対的なものであり、親に世話になったという側面においては封建的イデオロギーを受けいれる素地を提供しつつも、同時に、バランスシートを大切にして親からの一方的な負債ではないという側面において儒教の無条件絶対服従の要求を拒否する素地をもふくんでいました。日本人大衆は、孝を無条件絶対服従として説く古典儒教のイデオロギーを冷笑するくらいの健全なバランス感覚を保持していたわけです。無条件絶対服従の儒教イデオロギーが流通している国といえば、現在の韓国などがあてはまるといえるかもしれません(韓国の敬語も、日本語のような相対敬語ではなく、絶対敬語です)。

 

明治維新以降の家族観の推移

 明治になると、絶対主義天皇制のイデオロギーが説かれ、家庭における孝と国民としての忠とが天皇性イデオロギーによって体系的に結びつけられることになります。

《…絶対主義の体制が家制度のかたちで家族に浸透し、子の親に対する無条件絶対服従が説かれたが、それとともに天皇制の持つ宗教的性格、すなわち天皇をめぐる神話も家族イデオロギーに浸透して、家庭生活を規定することとなった。そこでは、われわれ日本人の祖先はすべて神であった、と説かれていた。これは、ある人々は何々天皇の後胤であるとして、またある人々は天孫の降臨に際して天孫に従って天上から降った神々の子孫であるとして、説かれていた。このように神話を媒介として国民の「家」が天皇家にむすびつけられ、父母をうやまい先祖をうやまい神をうやまい天皇をうやまうというむすびつきで、孝と忠とが一本化されたのである》(同上)

 これらのイデオロギー教育は、具体的には「軍人勅諭」(1882年)や「教育勅語」(1890年)、あるいは「教育勅語」を具体化した「修身」の教科書などで行われました。また、「親の恩」からの擬制としての「皇恩」というものが設定され、親の養育と同じような現実的な根拠として、仁徳天皇の税を免じたエピソードや、元軍来襲に際し伊勢神宮に祈ったら神風が吹いて敵軍が海に沈んだというエピソードなどが喧伝されました。

 

現人神としての天皇と他の神々との関係

《天皇は現人神すなわち生き神であったが、これまた日本的な神であった。重層信仰の一環を形成して他の神仏と共存し、現実の網状組織を観念的にバラバラに解釈することなく、網状組織を天皇との相互債務で解釈した統一ある家庭観・社会観を説いていた。戦争のときは一命をささげて奉仕せよと要求し、また国民が安楽に生活できるのは天皇のおかげであると説きはしたものの、日常生活のいろいろな分野においては他の神仏との相互債務を認めていた。ただ、キリスト教や新興宗教の「神」が、天皇よりも偉大であると説かれることのないように、きびしく目を光らせ弾圧を怠らなかっただけである》(同p205~206)

 このように、天皇制イデオロギーにあっては、そのイデオロギーが冒されないかぎりにおいては、監視はしつつも他の神仏との共存を認めていました。「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ、以テ天壌無窮(てんじょうむきゅう)ノ皇運ヲ比翼スヘシ」(教育勅語)とされはしたものの、そこではまだ、現実の人間と人間、あるいは人間と神とのつながりをバラバラに解釈することなく、網状組織を天皇との相互関係(債務)で解釈した統一のある家庭観・社会観を説いていました。

 

戦後の日本人の家族観・社会的人間観はどうなったか?

1945年8月、日本は敗戦を迎えます。

《天皇制政府がもっとも力をいれていた小学校教育では、連合軍の命令で、これまでの読本の大部分を墨でぬりつぶして使うことになり、天皇制宗教教育の根幹をなしていた修身および国史は廃止になった。これに代って与えられたのは、アメリカ流の経験主義的教育方法と、民主主義という新しい概念であった。民主主義ということばは国民の間でたちまち流行語になったが、それは具体的な思想として理解されたのではなくて、いままでの古いものを否定することであるかのように解釈された。したがって、過去の規律・慣習・束縛を一切認めないのが民主主義だということになり、自分のやりたいことをやらせないのが封建的だとされて、これを勇敢に実行した青年たちはアプレゲールとよばれた》(高木宏夫『日本の新興宗教』)

 敗戦によって、それなりに統一のある家庭観・社会観を与えていた天皇制イデオロギーは打ち砕かれてしまいましたが、それに代わるアメリカ的な「民主教育」は、大変評判の悪いものでした。それはそうでしょう、「相互債務の網状組織という考えを否定し、諸個人を切りはなして、私は誰からも何一つ恩義を受けていないという立場に立たせるには、それを現象的に肯定でき実感できるような現実の条件が必要である。親子が、夫婦が、たがいに経済的に依存することなく、贈与することなしに個人の生活を維持できる」(三浦前掲論文)必要がありますが、当時の日本はまだまだそのレベルに達してはいませんでした。長年、伝統的に「世間のおかげ」を意識して暮らしてきた人たちが、そう簡単に「民主主義者」になれるはずがありません。
 

 また、アメリカ的な、個人主義的な家庭観・社会観の成立の背景には、キリスト教的な考えかたも大きく影響していたものと思われますが、日本にそのような超越的な神の考えかたはなかったので、戦後、新興宗教が隆盛を誇ったのには、こうした背景も関係しているものと思われます。統一教会などは疑似キリスト教的な宗教であったといえるでしょう。

 日本の親たちは、戦後の学校で孝行や恩ということを教えてくれないので、学校へ文句を言いに行く者も少なからずいたとのことですが、日本の革新陣営は、こうした親たちを大衆思想運動を展開し取りこもうとはしませんでした。一方、創価学会や立正佼成会、天理教や大本教など新興宗教の陣営は、思いきった大衆思想運動を展開し、人びとに具体的な生活規律を教授して多くの信者を獲得するのに成功していきました。


《貧しい家庭の親たちが、学校でぜひ孝行を教えてくれと要求するのはなぜか? 進歩的評論家はつぎのように解釈する。親たちが子どもの人格を無視し、家族労働で子どもを酷使したり子どもの得たわずかの賃金をとりあげたりする、奴隷的あるいは封建的な親子関係ができているところに、民主教育が近代的な人間の形成を目ざし子どもの人格を認めるので、親子間の対立が激化する。これは親の権威を失わせるばかりか、経営や生活の脅威でもあるから、子どもの反抗を押えるために孝行教育を要求するという。では親子関係はどうあるべきかといえば、それは人間的なものに純化されるべきで、奴隷的な支配と服従でもなければ封建的な恩による支配と服従でもなく、人道精神の上に立つ愛情でなければならぬという。要するにもっと「物わかりのいい親」になってくれということである》(三浦前掲論文。太字は引用者)

 日本人の宗教観では、「人道精神の上に立つ愛情」を理解することはかなり難しいことであったようです。

 

三浦つとむの結論

 私たち日本人が長い間意識して来た「恩」というものを、またそれを含んだ家族観、人間観というものを、現代の私たちはどのように捉えるべきでしょうか? 以下は三浦つとむの結論ですが、理解しやすいように長文を挙げておきます。じっくり読んでいただきたいと思います。キーワードは、「視野を広げて考える」ということです。


《「その完成されたすがたはどんなに複雑であろうと、その中心は単純だという」(チェスタートン)事物の特徴は、恩と恩がえしについてもいえることである。だからこそ、昔の日本人がそれを直感的につかみ得たのである。それは個人が贈与のバランスシートを持つことであり、これを社会的にどう埋め合すかということである。教師や医者から恩を受けた場合、われわれは彼らに感謝と尊敬をささげながら、それによって得られた能力やとりとめた生命を有意義に使おうとするのが常である。ここに、恩がえしということの本質がある。親から受けた恩は、親に感謝と尊敬をささげながら、自分の子どもに恩をほどこすことによって恩をかえすのであり、世間の恩・働く人たちの恩に対しては、それに感謝と尊敬をささげながら、自らもまた働くことによって恩をかえせばよいのである。恩をかえすとは、その恩を受けた個人に対して報いることだという、せまいワクの中に発想をとじこめるかぎり、正しい解決は得られない。ヨーロッパ的に表現するなら、「一人は万人のために、万人は一人のために」働くという、非敵対的矛盾の両面を正しく調和させ維持するとともに、万人の労働によって自分がささえられながらもその労働に感謝と尊敬をささげることをせず、労働者の幸福のために努力するどころか反対に労働者を軽蔑し不幸におとしいれるような、忘恩の徒を社会から一掃することこそ、われわれの道徳なのである。困難は、現在の体制がこの非敵対的矛盾をどう歪めているか、具体的な網状組織をたぐっていきながらつかみとることであり、過大評価にも過小評価にもおちいることなしに自分の家族の負っている債務を、恩のありかたを自覚することである。

 それゆえ、進歩的な人たちが支配階級のイデオロギーに変形されたところの恩を攻撃するばかりでなく、恩という意識そのものまでまちがいだと破りすててしまうのは、浴槽から湯といっしょに赤ん坊まで流してしまうにひとしい。恩を破りすてるなら、親に対する子の尊敬は、親の能力や人格に対する尊敬以上のものではなくなってしまう。あるいは親からの贈与に対しては「純粋な内面的な」感謝をするだけで、自らも自分の子どもに贈与するべきだという「外的義務」は否定されてしまう。「友愛家族」論になってしまう。親に対する尊敬は、家族の内部だけではなく、すでに長い年月にわたって社会をささえるところの労働に従事し、万人のために大きな奉仕を行って人間としての責任を果し、そのことを通じて親自身もまた人格的に成長したという、網状組織全体の中でなされるものでなければならない。これがなければ、親に対する尊敬を持ったとしても、やはり同じように労働に従事し万人のためにまた自分のために生活資料を生産してくれた、同じ階級の人たちに対する感謝と尊敬は生れて来ないのである。

 大衆が伝統的に持っている「世間のおかげ」という恩の意識が、右のような論理構造を正しく理解することによって「親の恩」と正しく統一されるならば、恩の意識は生活の生産関係を理解するための重要なポイントとなりうるのである。問題は、この恩の意識が、恩を感じる必要のない人たちのところへまでも、誇大に拡張される点にある。「世間のおかげ」が、経済的な政治的な支配階級にも恩があるのだというかたちに延長される点にある。そしてここに教育の重要性があり、労働者教育と学校教育と家庭教育との区別および連関をまさに恩の問題を中心として再検討しなければならぬ理由がある》(三浦つとむ「日本の家庭」【『生きる・学ぶ』所収】。太字は原文、傍線は引用者)

 この論文を読んでからというもの、私は自分の両親からうけた恩について、彼らに感謝と尊敬をささげながら、自分の子どもに恩をほどこすことによって恩を返しているのだ、という意識を持つようになりました。また「世間の恩」「働く人たちの恩」については、それに感謝と尊敬をささげながら、自らも働くことによって恩を返すのだという、そういう意識をもつようにしています(もちろん働くことのできないひとは胸を張って社会保障を受けるべきであり、万人が働かなければならないわけではありません)。そうすると、そのへんを歩いている全然知らないひとをも含めて、万人に感謝と尊敬をささげることが出来ているような、そんな不思議な気がしてくるのです。――以上、何かと分断の引き起こされることの多い昨今ですが、人びとがお互いに感謝と尊敬をささげあう意識をもって生きていけることを願って、小論を終わりたいと思います。

 




(2024年2月17日)





2024年02月17日