動的属性概念を表現する語について

動的属性概念を表現する語について



 すでに見てきたように、日本語の〈動詞〉は属性を運動し発展し変化するものとしてとらえて表現する語ですが、当然のことながら、形式より内容を重視した観点から調べてみると、この種の語にも「安心」「成功」「満足」「スタート」「エンジョイ」「リストラ」など活用を持たないものが数多く存在します。学校文法では、これらを〈動詞〉「する」と一緒にして「安心する」「成功する」「満足する」「スタートする」「エンジョイする」「リストラする」などをそれぞれ動詞として扱い、「サ変動詞」あるいは「サ変複合動詞」と呼んでいます。この考えかたでは、「安心」「成功」「満足」「スタート」「エンジョイ」「リストラ」などは「サ変動詞」の語幹ということになります(一部、〈名詞〉として説明しているものもあります)。

 一方、三浦つとむはこれらの語について、次のように述べています。


《  犯人が逃走する
   友人を信用する
   試合に勝利てうれしい。
   おそいので失礼ます。


 漢字を二字組み合わせた熟語には、〈動詞〉に相当する行動や状態を意味することばがたくさんあります。これらは〈動詞〉とちがって活用がないので、そのあとにほかのことばを加えるのに不便ですし、これらの語で文が終ってもそれを明らかにすることができません。そこでこの具体的な意味の熟語を、〈抽象動詞〉(学校文法でいうところの〈補助動詞〉――引用者)の「する」でもう一度とらえなおして、この語の活用を利用する使いかたが生れました》(三浦つとむ『こころとことば』124頁。傍線は原文では圏点)

 《 「労働」「勉強」「打倒」などのような漢語は、日本語の〈動詞〉と共通した対象の運動的・発展的な把握を表現する語なのだが、これを日本語として使おうとしても〈動詞〉とちがって活用がない。他の外国語にしても同じである。そこで、それらの語の対象をいま一度抽象的にとらえなおして〈形式動詞〉「する」を加え、「労働する」「勉強する」「打倒する」のように、あるいは「アルバイトする」「スピーチする」「スケッチする」のように表現している》(三浦つとむ『日本語の文法』198頁。傍線は原文では傍点)

 このように、三浦は学校文法とちがって、「労働」「勉強」「打倒」「アルバイト」「スピーチ」「スケッチ」などの語を、それ自身単体として、「日本語の〈動詞〉と共通した対象の運動的・発展的な把握を表現する語」として、たんなる〈名詞〉とは異なる動的な属性表現の語として認めています〔注〕。三浦の言うように、これらの語は実はそれ自身立派な属性表現の語ですが、現実には活用がないと使いにくいので、〈形式動詞〉の「する」で具体的な属性を抽象的にとらえなおすとともに、その活用を使っているというわけです。三浦自身はアカデミックな学者ではありませんでしたので、また後年、語の分類を網羅的にするような学術書を書く機会もなかったため、この「労働」「勉強」「打倒」などの語をなんと呼ぶかについては特に言及しませんでした。これらの語については、山浦玄嗣氏は「動体詞」(『ケセン語大辞典上巻』66~67頁)、上田博和氏は「無活用動詞」(「無活用動詞論」、『言語過程説の探求 第一巻』所収)と命名しています。


上田博和氏の「無活用動詞」論


 上田博和氏は、三浦つとむが『日本語はどういう言語か』(旧版134~135頁)の中で〈静詞〉について述べている箇所を真似して、動的属性概念を表現する語について、次のように述べています。


運動し変化する属性において対象をとらへるときの語は、動詞だけではありません。漢語そのほかたくさんあります。そのたくさんのうちで、特別に四段その他の活用をする語だけが動詞とよばれてゐるにすぎないのです。活用するといふことは、この種の語の持つ特殊性として考へるべきものなのです。

 わたしとしては、動詞サ変動詞の語幹といはれてゐるものを一まとめにし、運動し変化する属性をとらへるといふ意味でこれを静詞に対して改めて「動詞」と名づけたらどうかと考へてゐます。次のようになります。
  
     活用動詞(動詞)
    ↗
  動詞
    ↘
     無活用動詞

 運動し変化する属性として対象をとらへる語には、活用のあるものも活用のないものもあつて、その中の活用のあるものを動詞とよんでゐるが、これを「活用動詞」とよび換へて、これと活用のない〈動詞〉的な内容の語即ち無活用動詞」とを一括して、新たに動詞〉とよぶこともできるでせう》(上田博和「無活用動詞論」【『言語過程説の探求 第一巻』明石書店、2004年。98頁】太字は原文)

 〈静詞〉に対しての〈動詞〉という語の再定義を促すとともに、これまで名無しの権兵衛だった広範な一連の語群に対して、一般妥当と思われる命名をしており、すばらしい案だと思います。


   ~     ~     ~
〔注〕上田博和氏は、「無活用動詞論」の中で、三浦が「労働」「成功」「放任」などの語を〈動詞〉として認定しておらず、むしろ〈名詞〉として認定していると主張しています。

《 漢語は活用しないから〈形容詞〉ではないが、漢語「綺麗」と和語「美しい」とは活用の有無といふ相違を超えて、静的属性概念の表現といふ点で共通である。これに着目して〈静詞〉といふ新たな品詞を創造したのが、〈形容詞〉的な内容の漢語に対する三浦の方法である。ところが、〈動詞〉的な内容の漢語に対しては(漢語「労働」と和語「働く」とは、活用の有無といふ相違を超えて、動的属性概念の表現といふ点で共通であるのに)三浦はこの方法を採用しなかった。三浦は「漢語には動詞的な内容を持つものがいろいろある」と述べて、例へば「労働する」「成功する」「放任する」などの「労働」「成功」「放任」を〈動詞〉的な内容の漢語と認めるが、これを動詞としては認定してゐない。さうして、むしろ〈名詞〉と認定してゐる。

  〔名詞を使って「全員起立!」とか命名している(中略)。〕【三浦つとむ『言語過程説の展開』勁草書房、1983年。509頁】》


 上田氏は三浦が「労働」「成功」「放任」などの語を〈動詞〉として認定していないというけれども、先に引用した『こころとことば』や『日本語の文法』の内容から明らかであるように、三浦はこれらの漢語が「日本語の〈動詞〉と共通した対象の運動的・発展的な把握を表現する語」であることを認めています。ただ、〈静詞〉論のときのようにこれらの漢語や外来語について命名を提案するということをしていないだけです。上に上田氏は《名詞を使って「全員起立!」とか命名している》という三浦の短い文章を引用していますが、かりに三浦が「命令形」の認識構造が話題の場面で「起立」を〈名詞〉扱いしたとしても、それをもって三浦が「起立」に動的属性概念を表現する場合があることを否定したということはできないと、私は思っております。






(2024年9月18日)

2024年09月18日