走ることの効用
中村光夫は昭和49年(1974年)の日記に、「駈け足の効用」と題して、次のように書いています(中村は63歳でした)。
《 この夏から、毎朝、家の近くを十分ほどランニングしています。トレーニング・パンツに運動靴をはき、格好だけは一人前ですが、年のせいか、歩くのと駈けるのとの間ぐらいなスピードです。
それでも谷間の道を往復してもどってくると、帰りが登り坂のせいもあって、今ごろの陽気でもスエーターを脱ぎたくなります。走っている間より、すんでから身体がぽかぽかするのはいい気持ちで、起きぬけの憂鬱など自然けしとんでしまいます。
六十をすぎてから、何故こんなことを始めたかというと、かなり身体の衰えを痛感したからです。脚と腰が弱くなり、立ち居振る舞いがのろくさく、不確かになり、思いがけないときよろけたりする、これも老化の避けられない現象かもしれないが、適当な刺激をあたえることで、さきに延ばすことはできないものか。そんな考えで始めた駈け足ですが、思いがけない拾いものは、この単純な肉体運動の精神的効果でした。
年寄りの寝起きは悲しい、などといまさら云うと嗤われそうですが、実際、こんなに嫌なものとは、予想できないことでした。ことに前の晩ねむりすぎて早く眼が醒めてしまったときなど、死んだ友達や家族を妙に生々しく思いだしたり、自分の死にざまを考えたり、ろくなことはありません。こうした暗い気持ちは放っておけば朝飯のあとまでつづくのですが、それが十分の駈け足できっぱり消え、張りのある気持ちになれるのは不思議なくらいです》(中村光夫『知人多逝』より。太字は引用者)
中村は60歳を過ぎてから、鎌倉の扇ガ谷の坂道を毎朝走っていたみたいですが、走ることによる精神へのプラスの影響について率直に語っています。この手の考えかたは、今だとアンデス・ハンセン著『運動脳』(サンマーク出版、2022年)が有名ですが、実際私も30分ランニングを隔日でおこなっていますが、たしかにあまりくよくよ考えることがなくなったように思います。今朝は走っていると、そこらじゅうの車のフロントガラスが雪を被っていて、昨夜雪が降ったのだなと知ることができました。天候や季節や街を肌で感じることができる、それもランニングの魅力的な効用のひとつだと思います。
《 この夏から、毎朝、家の近くを十分ほどランニングしています。トレーニング・パンツに運動靴をはき、格好だけは一人前ですが、年のせいか、歩くのと駈けるのとの間ぐらいなスピードです。
それでも谷間の道を往復してもどってくると、帰りが登り坂のせいもあって、今ごろの陽気でもスエーターを脱ぎたくなります。走っている間より、すんでから身体がぽかぽかするのはいい気持ちで、起きぬけの憂鬱など自然けしとんでしまいます。
六十をすぎてから、何故こんなことを始めたかというと、かなり身体の衰えを痛感したからです。脚と腰が弱くなり、立ち居振る舞いがのろくさく、不確かになり、思いがけないときよろけたりする、これも老化の避けられない現象かもしれないが、適当な刺激をあたえることで、さきに延ばすことはできないものか。そんな考えで始めた駈け足ですが、思いがけない拾いものは、この単純な肉体運動の精神的効果でした。
年寄りの寝起きは悲しい、などといまさら云うと嗤われそうですが、実際、こんなに嫌なものとは、予想できないことでした。ことに前の晩ねむりすぎて早く眼が醒めてしまったときなど、死んだ友達や家族を妙に生々しく思いだしたり、自分の死にざまを考えたり、ろくなことはありません。こうした暗い気持ちは放っておけば朝飯のあとまでつづくのですが、それが十分の駈け足できっぱり消え、張りのある気持ちになれるのは不思議なくらいです》(中村光夫『知人多逝』より。太字は引用者)
中村は60歳を過ぎてから、鎌倉の扇ガ谷の坂道を毎朝走っていたみたいですが、走ることによる精神へのプラスの影響について率直に語っています。この手の考えかたは、今だとアンデス・ハンセン著『運動脳』(サンマーク出版、2022年)が有名ですが、実際私も30分ランニングを隔日でおこなっていますが、たしかにあまりくよくよ考えることがなくなったように思います。今朝は走っていると、そこらじゅうの車のフロントガラスが雪を被っていて、昨夜雪が降ったのだなと知ることができました。天候や季節や街を肌で感じることができる、それもランニングの魅力的な効用のひとつだと思います。
(2025年3月9日)