若さの力技







若さの力技(エッセイ)


若さの力技

 近頃ぼくは、とても爽快なニュースを聞きました。それは、近頃ぼくらがよく耳にする青少年の犯罪といった若さの否定的な面についてのものではなく、若さの肯定的な面、いや、まさに若さの「力技(ちからわざ)」とでもいうべき喜ばしいニュースでした。

 2月27日の夜、福岡県久留米市を走るJR久大本線で、列車が脱線する事故があり、近くの踏み切りの遮断機が下がったままとなり、交通量の多い道路(国道209号線)が身動きのとれない状態になってすぐに南北1キロにもわたる大渋滞になってしまったそうです。

 以下、エキサイト:ニュース(3月2日)から引用します。

《……その際、たまたま通りかかった高校生6人が「脱線しているなら列車は来ない」と判断。手分けして遮断機を上げてクルマの通行を確保した。近くの高校には「おたくの生徒が踏み切りの遮断機を上げている」という通報が近隣の住民から入り、いたずらだと考えた教師が慌てて駆けつけたところ、必死に遮断機を上げている生徒を発見。携帯電話で警察に通報するとともに、協力して遮断機を支え続けた。
15分後に福岡県警の久留米署員が現場に到着。ロープで遮断機を固定するまでの約20分間、高校生たちは重い遮断機を支え続けたことになる。久留米署では「遮断機を上げることの法的な問題は別にしても、現場での緊急処置としてはあれが最善だった。もし支えてくれなかったら、交通が大混乱して大変な事態になっていた」と、この高校生たちを絶賛している》

 ぼくはこのニュースを読んで、あらためて、若さの素晴らしさというものを再認識させられました。彼ら6人の高校生は、たんなる行動バカではありません。彼らは、しっかりと状況を見極めて、「脱線しているなら、列車は来ない」ときわめて理性的な判断を下し、そしてその判断に基づいて渋滞を解消すべく素早く行動を起したのです。

 逆に、渋滞に巻き込まれていた多くの大人たちは、いったい何をしていたのでしょう? ぼくは、上の高校生たちの的確かつ迅速な判断および行動に感嘆すると同時に、そのほか現場に大勢いたであろう大人たちの情けなさにひどく落胆しました。渋滞に巻き込まれた人たちの多くは、いうまでもなく大人でしょう。彼らは、なぜ、何の行動もとらなかったのでしょう? おそらく、何か行動を起してあとでそれが裏目に出て責任を問われたらイヤだから、とか、オレじゃなくても、誰かが何とかしてくれるだろう、とか、考えていたのではないでしょうか。

 事故の多くは、突発的に起るものです。その際、すべての人が上の「大人」のように考えていたら、どうなるでしょう? いうまでもなく、事故はますます大きくなって被害が拡大してしまうほかはないでしょう。このような事故のときに必要なものは、上の「大人」のような無責任で卑怯な打算ではなく、6人の高校生のような、素早い理性的な判断とそれを行動に移す勇気と機動力ではないでしょうか?

 ぼくは、同じことは政治の世界においても言えると思います。少子高齢化の危機が指摘されてからすでに久しいのに、いまだに日本の政治家はその抜本的な対策を実行していません。これは、上の「大人」のような政治家が大多数を占めているからではないでしょうか?

 けれどもぼくは、まだ日本の政治家に絶望しているわけではありません。ぼくらは、20代から40代にかけての若い政治家のなかには、素晴らしい志を持って、日本をよくしようと真剣な熱意に燃えている方もいるということを知っています。彼らに、上の6人の高校生のような「力技!」を期待したいと思います。それから、熟年、老年の政治家たちには、せめて、上の生徒たちの的確迅速な行動を理解してそれを援助した教師のような、理解力のある裏方としての役割を期待したいと思います。


(2001/3/12 脱稿)



2022年06月07日