米津玄師と山本太郎の「心の橋」

米津玄師と山本太郎の「心の橋」



 先日、歌手の米津玄師が以前にラジオで語ったことを紹介する動画を見ていたら、とても印象深いことを語っていました。動画再生回数5億回を超える大ヒット曲「Lemon」は、そのミュージックビデオも芸術性が高く人気がありますが、その中で米津玄師がハイヒールを履いている場面があります。私は、なぜ米津氏はハイヒールを履いているのだろうと不思議に思っていたのですが、米津氏はラジオの中でその理由について語っています。以下は私がそれを要約したものです。

 《むかし夢で見た光景があって、そこはおそらく誰かの葬式の会場で、会場にはいろんな人たちがいて、みんな喪服を着ていて、その中のひとりに自分もいる。しばらくして、ある人が突然、指笛を吹き始めたんです。「ピー!」っとものすごい甲高い音で。まわりのみんなは戸惑うんですよ。

「えっ? なにあの人、ちょっと頭おかしいんじゃないの?」と。

 まわりの人は指差して笑う人もいれば、うわさ話をしてザワついた雰囲気になったりもしている。それでもその人はまわりを気にせず指笛を吹き続けているんです。その人が指笛を吹いている理由は誰にも分からない。

 でも、夢から覚めて、自分は思ったんです、亡くなってしまった人と、その人とのあいだに、なにか合図のようなものかあって、あるいはその二人にしか分からない何かがあって、それによって指笛を吹くっていう行為が生まれたんだろうなあ、って。そして自分はそれはものすごく美しいことだなと思ったんですね。亡くなってしまった人とその人とのあいだにある、ほかの誰もが知らない何か、そういうものがそこにある、という側面を読み取ったんです。で、そういうニュアンスを「Lemon」の映像の中で落とし込みたいなあと思って、それでヒールを履くという結果となりました》(『米津玄師 × 野木亜希子 アンナチュラル対談』〈2018.3.4 TBSラジオ〉の要約)

 つまり、まわりの目を気にせず、誰にも分からないような何かをすることで、二人の間の絆を表現する、そういうニュアンスがあのハイヒールには込められているのだということです。 

 私はこのくだりを聞いて、なぜか小林秀雄のある言葉を思い出しました。《…問題を男と女との関係だけに限るまい、友情とか肉親の間柄とか、凡そ心と心との間に見事な橋がかかっているとき、重要なのはこの橋だけなのではないだろうか》(小林秀雄『Xへの手紙』)小林は、それは《近付き難い威厳を備えているものの様に見える》とも言います。米津玄師がハイヒールを履いて座っているあの姿は、まさに死者との間にかかる「心の橋」を表現しているのではないだろうか、そう私は思いました。

 また、最近、山本太郎の街頭演説の動画を見ていて、この「心の橋」を垣間見ることができたような気がします。山本太郎は演説会で、大型モニターを使っていろいろなデータや資料を使いながら市民からの質問に答えていくというスタイルをとっているのですが、このとき5万枚を超えるという資料の中から即座に山本の欲する資料をPCを使ってモニターにアップするスタッフがいます。この人は、山本太郎の「IMFのあれ」などという抽象的な短い言葉から、察して素早く正確な資料を画面上に取り出してみせることができます。ときに山本が「あ、もう出てる(笑)」というくらい、山本の心の中を読むことに長けているのです。興が乗ってくると、ときに山本はこのスタッフをイジって聴衆の笑いを誘うこともあります。そういうとき、私は、「ああ、見事な橋がかかっているな」と思ってしまうのでした。山本太郎には、日本の政治を変えてもらって、あちこちで「心の橋」のかかる、そんな暖かい国にしてもらいたいですね。


(2020/01/23 脱稿)


※2024/01/11 更新




2024年01月11日