生きることの意義について(エッセイ・令和版)

(2002年5月16日の「川島正平のページ」エッセイより)

 


人の一生はおびえ慄えて縮むほど大事なものではない。
ショウペンハウエル『パレルガ・ウント・パラリーポメナ』より



 最近、身近な人が自殺して、いろいろと考えさせられました。しばらくショックであまりものを考えることが出来ない状態だったのですが、数週間たってようやく冷静な気持が戻ってきたようです。実は前回のエッセイがすでに自殺に関するものだったので、二回続けてこういう題材について書くのはどうかとためらわれたのですが、今回の事件を契機に「生きることの意義」に関して自分なりに真剣に考えたことを記しておきたかったし、そして何よりも自分自身の気持の整理(けじめ)のためにも、このエッセイを書くことにしました。

 Aさん(今回自殺した47歳の男性)は、仕事を通じて知り合った友人の一人でしたが、飄逸な笑顔とその独特のユーモア感覚でまわりからも慕われている陽気な中年男性でした。Aさんは、豊富な経験とその盛んな好奇心のため、ことに雑学に長けていて、若い人の中には「Aさんに聞けば何でもわかる」と尊敬の眼差しで見つめている人もあったくらいでした。そのAさんがなぜ自殺することになってしまったのか、いまでは知る由もありませんが、ただ(少なくともぼくにわかる範囲で)はっきりしているのは、Aさんが心臓に遺伝性の持病を持っていたことと、最近仕事で失敗してヘコんでいたこと、くらいなものです。けれども、これだけでAさんが自殺するということは、少なくともぼくには信じられないので、おそらく衝動的なものだったのだろうと今では推測しています。

 実は、ぼくは以前、このAさんと、「生きることの意義」について、少しだけ議論したことがあります。それは、あるときふとAさんが「…生きていてもしょうがない」ということを言ってきたので、ぼくが「どうしてですか?」と聞いたところから始まりました。ぼくにしてみれば、頭が良くてユーモアもあり、打ち込んでいる趣味(パソコン関係)もあるAさんがこんなことを言ってくるのは、寝耳に水という感じがしたのです。よく聞いてみると、20代の頃にAさんは、「生きることの意義」に対する疑問に悩んで、キリスト教の教会に通っていた時期があったということでした。教会で牧師さんと何度も議論したそうですが、結局神を盲目的に信じるしかない、という牧師さんの答えに失望して、それ以来この問題に関してはすべて棚上げにして今まで生きて来た、と言っていました。ぼくはぼくなりに「生きることの意義」に関する考えを持っていましたが、それを開陳するにはそれなりの時間とそれなりの労力をかけてする必要がありましたし、またそのときの雰囲気がそれほど深刻なものではなかった(Aさんは多少冗談っぽく、自嘲気味に話していました)ので、「まあ、生きることの意義に関する答えがなければ人間生きられない、というわけでもないですからねえ」というお座なりの言葉で済ませてしまいました。今ではそれが多少悔やまれますが、それでも「自殺する人は結局何を言っても自殺するんだ」というのが今のぼく自身の正直な気持ちです。

 その後、Aさんが死んでから、再びこの問題について考えたこと(あるいは、先人の考えから学んだこと)を以下に書いておこうと思います。

 中村光夫の晩年の著作に『老いの微笑』(1989、ちくま文庫)という本があります。これは中村が老いをテーマにして書いたもろもろのエッセイをまとめたものですが、その中に「自分は大切か」と題するエッセイがあります。中村はそこで、近代の洗礼を受けた個々人にとって、生きることの意義はどういうところにあるか、ということに関する自らの見解をわかりやすく述べています。

 中村はまず、明治になって封建主義を脱した日本人が、西欧の個人主義の思想を取り入れた歴史について概観します。曰く、昔の日本人は、個々人が行動するときに、自分の考えに従うのではなく、他人の考えによっていたが、西欧近代の個人主義の思想の影響で、次第に日本人も、自分のために、自分の考えに従って生きることが善とされるようになった(実質的にそうなったのは、戦後のことでしょう)、と。それは、たとえて言えば、個々人が自らの進むべき行き先を指し示す羅針盤を自分の中に持つことであり、他人が持つ羅針盤に従って生きていた昔に比べれば望ましいことかもしれないが、しかしそれはまた同時に、新たな苦悩の始まりでもあった、なぜなら、《羅針盤を一々のぞくのは、ある意味でわずらわしいことだし、第一、羅針盤そのものが正確とはかぎらない》(中村光夫『老いの微笑』p.154)からだ、といいます。

 さらにはそこへ、「遺伝と環境」によるある種の決定論の思想である近代自然主義の考え方が入ってきて、ぼくらは、自我を意識することがすなわち自我の解体に立ち会うことである、という近代人の宿命を自覚することになります。

《僕らが、どんなに自分に固執しようと、時代や環境の影響を免れないのは明らかですが、そうだとすると、僕らが自分の考えと思っているものは、たいがい他人から学んだもの、あるいは、他人の是認を予期しているものでしょう。自分のなかの本当に自分といえる部分は何か、という疑問は自己反省を多少でも本気で行った者が必ず逢着するものであり、僕らが人生でいくつか出会う解決のない問題のひとつです。

 よく考えて見れば、僕らの内面にも、まったく他人に依存しない思想や感情などないといってよいので、僕らが平素「自分」と思いこんでいるものは、多くの他人の影響の複合体であり、ただその要素の組合せが、多少異っているにすぎないのです。

 そうでなければ、時代の影響が、人間の性格や行動に見られるはずはありません。

 これは僕らの生命が限られていることとも照応する現象です。

 自分の内心の声を聞いたつもりでも、実は時代の流行を追っていたにすぎないという経験は、おそらく誰にもあるでしょう。

 そんなふうに考えると、自分というものが一体あるのかないのかが問題になってきます。僕らが自分で考えたと思っていることが、すべて他人のうけ売りだとすれば、僕らの本来の自分はないに等しいはずです》(中村光夫『老いの微笑』p.156~157)

 ――たしかにそうでしょう。たとえ自分が自己の内面の論理に従って個性的に生きているつもりでも、一方で、その「自己」というものがすべて外界の影響から出来上がったものであるならば、それが果して「個性的」な生き方かどうか、あやふやになって来てしまいます。ならばわれわれが「個性的」に生きる意義はどこにあるのか、ということになってしまいます。中村はこの問題について、次のような解答を提出しています。

《…前世紀の詩人は星空を仰いで、そこに感知される無限の時間と巨大な空間にたいして、地球と人間の卑小さを嘆息しましたが、僕らは自己のとるにたらぬ存在であることを感ずるために、宇宙を持ちだす必要はないのです。

 僕らの肉体が社会に加わらなければ生きられないように、僕らの精神も外界からきたさまざまの要素から成り立っています。しかし、このことは、すぐに僕らの精神が画一的な存在であることを意味しません。これらの要素の組合せは各人によって異るはずで、この組合せの違いが人間の個性を形造ります。

僕らが生きるとは、この組合せの持つ可能性を実現することで、むかしから言われてきた個性を生かすというのもこれ以外のことではないはずです。

 自分を大切にすることは、以前には自己の内面に絶対の権威をみとめ、外界を軽蔑し、孤立することから始まったのですが、現在ではそのような孤独や隔絶は、僕らの方から望まなくとも、社会の方からそれを構成する人々に押しつけてきます。したがって自分を大切にし、その発達を希う努力は、ある意味で、前世紀と反対の方向にむかうはずです。

 自分の内面を形成する要素は、個々には外界からきても、全体としては自分に独得のものである以上、これを真の意味で自分のものとすることが、僕らにとって生きることの意義になるはずです。自分という外界から隔絶した外界の持つ可能性を、現実のものとする道は、この小さな外界に、大きな外界との交流を恢復し、生命をあたえることです。

 むろん、僕らの内面は全く外界と同じではありません。たとえば知、情、意という三面で普通表わされる精神のはたらきは、僕らの内面だけにあるものと言えます。

 しかし、ひと並より明晰な智力を持っているとか、情がこまやかとか、意思が強いというような、僕らの性格の特色も、結局は「遺伝と環境」の所産にほかなりません。だからそれも僕らにとって外界から来たものと言えるのですが、それが僕らの個性とすると、僕らの意識にとって、ぼくらの個性もまた外界だと言えます。

 僕らの個性の持つさまざまの特色、たとえば――ごく単純に言って――知性は鋭いが意思が弱いとか、意思が強いが、情感が乏しいというような性格は、おそらく偶然の所産ですが、あたえられた僕らにとってはかけがいのないものです。したがって、このそれぞれ歪みと不均衡を持つ――それによって外界から離れる――性格を、それが歪みと不均衡のゆえに孕んでいる可能性を、外界との交流のうちに開花させること、これが僕らにとって生きるということである筈です。

生命の営みとは既成の諸要素の新しい組合せから、これまで現実になかったものに存在を与えることであり、生きるとはこの広い意味での創造だからです。

 「自分を大切にする」のも、むかしのように外部からの影響を遮断し、自己を絶対化することではなく、自己を形造る要素がすべて外界から来たものであることを知り、その組合せに個性をみとめ、そこに含まれた可能性を抽きだし、そのことによって、現実に何物かをつけ加える、少なくもそういう創造の方向に努力することになりましょう

 それは外界からの隔絶を条件とする代りに(隔絶は物心つけばすでにしているので)すすんで外界とかかわり、それを変化させることで自分も変化して行くことです。外界に働きかけ、そこから何かをとり入れずに人間は生きて行けないからです》(同上、p.161~163)(太字――川島)

 このように、自らの内面の持つ組合せの独自性を信じて、そこから個性的なものを創造し、個性的な生き方を歩んでいく、ということは、何も学者や芸術家やアーティストなど、特別な人にだけ妥当するものではありません。普通のサラリーマンでも、日々の仕事の経験から何か独創的な発想を得て、時期を見て脱サラしその発想をもとに起業して成功した、という例はいとまがありません。また、普通のサラリーマンや被雇用者や主婦でありつつ、同時に趣味の世界で独自の豊かな精神生活を実現しそこに生き甲斐を見つけているという例は、皆さんのまわりにもいくらでもあることと思います(もっとも、つとにマルクスが指摘したように、「効率」第一の近代社会における仕事場では、個々人をその趣味や人格の面も含めて全体的に評価するという面がなさすぎる、というのは事実でしょう)。

 また、マルクスやエンゲルスであれば、上のような問いに関しては、次のように答えることでしょう。人間は精神的にも肉体的にも相互に作りあっているのであって、決して自分で自分を作りはしない。ゆえに人間の生き甲斐は、世界中の働く人びとの幸福と安全と福祉のために何ごとかを為すことである、あるいはそのために何ほどかでも協力することである、と。実際、三浦つとむは、このような考えのもとに、社会科学の領域における謎解きを自らの生き甲斐にしていました。ついでにいうと、ぼくも三浦と同じような生き甲斐のもとに人生を送っています。――ちなみに、上の中村の考えに当てはめて考えてみると、ぼくが学問上の影響を受けたのは、その主なものは、マルクス、エンゲルス、三浦つとむ、時枝誠記、中村光夫、デカルト、プラトン、村上陽一郎、古田博司などなどであり(もちろんそのほか目に見えない影響もたくさんあると思います)、このような組合せはおそらくこの広い世界の中でもぼく一人だけだろうと思います。そうして、そういう自分だからこそ、他の誰にも書けないところの何ものかを書くことが出来る、という自負が一方であります。そして同時に、それがぼくの生き甲斐にもなっています。

 ――ここで誤解してもらいたくないことは、すべての人が肩肘はって「独創」を目指さなければならないということではない、あるいは、すべての人がいわるゆ「成功」をしなければならないということではない、ということです。すべての人は、その容貌、声、喋り方、中村の指摘した知、情、意の組合せ、などの面において、すでに世界に二人とはいない貴重な、かけがえのない存在なのです。――実際、今回のAさんの自殺でぼくが一番残念に思ったのは、Aさん独特の人なつこい笑顔や立居振舞い、それから何よりもその独特のユーモア表現などがもう二度と見られない、ということでした。こう考えてみると、ある人が自殺するということは、その人を慕っていた(あるいは、不謹慎な言い方かもしれませんが、その人の個性を楽しんでいた)周囲の人びとに対する罪である、とさえ思われてきます(家族や親戚に対する罪である、ということはいうまでもありません)。もっとも、なかには「自殺するヤツなんか知ったこっちゃねえ。勝手に死なせておけ」と考える人もいるでしょう。たしかに、究極的にはそうなのですが、それでも、自殺するということの中には、こういった小さな、目立たない罪がある、ということを自殺志願者に知ってもらうことは、あながち無意味なことではないだろうと、ぼくは思うのです。




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※先日、何となく寝そべりながら米津玄師のラジオ出演を動画にしたものを見ていたら、とても興味深いことを語っていました。彼は本当に探究心のかたまりのような人で、ひとつひとつの自分の音楽上の作品の価値とそれに対する世の中の受けとめ方を細かく分析していて、そこで生まれた疑問についてまた真剣に考え込んでしまうことがある、しかもその疑問はときに一年間も持続してしまうこともあるそうです。


 以下、このとき聴いた話の要約です。2012年、米津玄師は本名で活動を開始し、アルバム『diorama』を発表します。


 《このアルバムは自分の中では、完璧なJポップで普遍的なもの。幅広い世代に受け入れてもらえるものと信じていたのに、現実はそうではなかった。そこにズレがあった。このズレが何なのかについて、必死に考えた。このズレと向き合う必要を感じた。じゃあ、どうすれば多くの人に伝わる音楽を作ることができるのか? 


 机の上にいろんなものを並べた。普遍的なものとは何か。人と人との間にある共感とかルールとは何か。そしてそれはどこから生まれてくるものなのか。


 1年くらいずっと考えた。そして1年間の中でいろんな答えが見つかって、その中のひとつが、


『人と一緒にやっていく ! 』


『人と一緒に美しいものを作っていく ! 』


で、自分以外の誰かとの間に見つかる共通した部分、ルールとかそういったものを大事にしていく。そういうことがあるから、人に伝わるものになる。自分なんてしょうもないんすよ、基本的に。生まれてきた瞬間から、人間は社会的な生き物であって、、、で、日本という国に住んでるわけであって、まあいろんな倫理観だとか、道徳だとか、そのコミュニティにおいてのいろんな所作を教えられながら生きてくるわけじゃないですか。そのいろんな積み重ねの上に自分がいるわけであって、そこで自分の肉体の中にあるものだけを見つめて行ったところで結局それは見つめて行けば行くほど外へ向いて行くしかないんですよね。まあ、(2012年から2013年にかけては)仲間を作るっていう1年になったと思うんですけど、それによっていろんな美しくもしょうもない友だちがいっぱいできまして、まあ、それによって今の自分が成り立っているなあっと思いますね 》(『米津玄師□と、Lemon。』より)


 ここには、学生時代のバンド活動で人と一緒にやろうとして挫折を経験したという、自分の過去をもう1回受け入れて、それでも人と関わって生きていかなければ良いものは作れないという必死な彼の決意を感じることができます。結局、自分ひとりだけでやっていると、その作品は知らず知らずのうちにどこか豊かさに欠ける、人の心に届きづらいものになってしまうのではないか、ということだと思います。たとえば一本の木が成長する過程を考えてみても、太陽の光や酸素、土の養分、水などいろいろなものを必要としますが、人間の才能−−それもいろんな種類があると思いますが−−も、自らの思いつきや考えだけでなく、他人の言葉や作品、それからその他人との関わりの中で生まれてくる諸々の所産なども、必要としているのだと思います。20代半ばでこういう境地に達することができるという、彼の早熟さには驚きを禁じえません。(2020年2月8日追記)

 








(2002年5月16日脱稿 / 2020年2月8日更新 / 2024年2月28日再掲載)



2024年02月28日