大いなる希望とともに(2005年6月1日)

 彼が産まれたのは去年の6月だった。その日の夜に産まれそうだと聞いて、私は仕事を休んで東神奈川の病院に駆けつけ、陣痛に苦しんでいる妻に付き添っていた。彼女がさすってほしいところを言ってくるので、私はその指示に従ってさすり、励ましの言葉を掛け、妻を元気づけたりしていた。

 が、実際のところ、一番動揺していたのは私かもしれなかった。ドラマに出てくるシーンとは違う、本物の「ウーン、ウーン」という腹の底から唸るような感じの凄まじいいきみ声に、無意識のうちに第三者的な気楽さで出産に立ち会おうとしていた私は、気後れしてしまっていたのだ。出産は意外と難産だった。夜中の3時過ぎ、帝王切開する可能性もあると医者から告げられた時は、本当になんにもしてあげられない自分がもどかしく、イライラが募るばかりであった。

 明け方になって、急遽分娩室にいた看護士から呼ばれた。産まれそうだから妻に声を掛けてほしいとのこと。私はもう無我夢中で、この時のことをよく覚えていない。ただ、子供が産まれた瞬間、看護士がまず一番に私に抱かせてくれたことと、子供を携帯で写真撮影することを許可してくれたこと、そして感動のあまり不覚にも涙を流してしまったことはよく覚えている。その子は、3200グラムの大きくて元気な男の子だった。へその緒を切ったばかりのその子を抱きながら、「ようこそわが家へ!」、私は心の中でそうつぶやいた。

 それからというもの、彼はつねにわが家の中心にいる。最初は乳母車の中で寝てばかりいた彼だが、次第にハイハイするようになり、「アーアー」だの「ウーウー」だの言葉にならぬ言葉をしゃべるようになり、最近では、とうとう「たっち」も出来るようになった。私は家にいる時はなるべく彼と一緒に遊ぶようにしている。こう書くと、妻に、一緒にいるだけでちゃんと遊んであげていないじゃない、もっと真剣に相手してあげて、と言われそうだが、私にしてみれば、以前のように部屋にこもって趣味に興じてばかりいないで、なるべく子供と一緒にいて、時々絡んでくる子供を適当にあやしたり、私なりに自分の時間の大部分を子供のために費やしているつもりである。子供の前でアクロバットを演じたり、身振りを交えて大声で歌を歌ったりする妻の流儀で子供をあやしたりは出来ないが、父親には父親なりのあやし方があってもよいではないか。第一、私は仕事で疲れていることが多いのだから、あまり労力のかからない遊びかたをしたからといってそう責め立てることでもあるまい、とよくあるオヤジの言い訳も付け加えておこう。

 どこの家でも同じだと思うが、子供にとって最も重要な、なくてはならない存在、言いかえれば第一の「友人」は母親である。父親はただでさえ仕事に時間を取られているから(世の働くお母さん方には失礼な言い方であるが、とりあえずわが家では父親が働いている)、子供がなつくようになるにはある程度努力が必要である。私も、なるべく子供と一緒にいて、なるべく多くスキンシップををとるようにしている。その甲斐あってか、最近ようやく、第二か第三の友人くらいには思ってくれるようになったようである。一緒にいて、用事で彼のそばを離れると、ワーワー泣きながら凄まじい勢いのハイハイで、ドタバタドタバタ私の後を追い掛けてくることがある。「おいおい、おまえさんはおいらの友達じゃなかったのかい、なぜ遠くに行ってしまうんだい?」てなことでも考えているのだろうか、はなはだ不満そうな顔で私の顔を見つめている。そういう時、私はなるべく彼と一緒に用事を済ます(たとえば歯を磨く時だったら、片手で彼を抱きながら歯を磨く)ようにしている。そうでもしないと、彼の心がまた私から離れていってしまうのではないかと不安なのかもしれない。というのも、彼にはまだ、母親がいないと恐ろしく不安になる瞬間があって、そういう時は、私がいくらあやしてもどうしようもないのである。父親では不安なのである。しょせん私はまだその程度の存在なのだ。だからこそ、彼が私を必要としているときには彼が望んでいることをしてやり、点数稼ぎをしておきたいのである。実にけなげな父親ではないか。(涙)

 最近、というほどでもないがちょっと前に、腹を抱えて笑うほどおもしろおかしいことがあった。家のダイニングで、私が食器を洗っていたときのこと。すぐそばで子供と妻が遊んでいた。そのうち妻がトイレに立った。私は、彼がひとりになって泣き出すのではないかと思い、食器を洗いながらも、チラチラ彼のほうへ目をやり、気にしていた。彼はトイレの扉と私のほうを代わる代わるみながら、どっちにいこうか迷っているようであった。そこへ妻が、息子をびっくりさせようと「わあっ!」と言いながらいきなり扉をあけて出て来たのである。息子は驚いて、反射的に両手をバンザイさせて、その手を妻のほうから私のほうへ弧を描くように半回転させながら倒れてしまった。驚いてから倒れるまで、わずかコンマ5秒くらいの話である。よくサッカー場で盛り上がった観客がウェーブをやるのをテレビなどで見るが、あれを下から上へではなく、右から左へ、しかも一瞬のうちにやったかたちである。息子は倒れたあと、出て来たのが未知の対象ではなく、母親であることを確認し、泣くでもなく、ただ茫然と母親の顔を見つめている。一瞬、何が起こったのか理解できない様子であった。私と妻は、息子が驚きのあまり一瞬のうちに両手をあげながらドテッと倒れた様があまりにもかわいらしく、またあまりにも滑稽だったので、二人揃って腹を抱えて大笑いをした。――息子のおかげで、私も妻も、以前よりよく笑うようになったことはたしかだと思う。

 そんな息子も、もうすぐ1歳になろうとしている。誕生日には何を買ってあげようか、何をしてあげようか、まだ考えている最中だが、ともあれ、思い出に残るような一日にしてあげようと思っている。

――今日は川島正平の知られざる一面をご紹介しました。父親というのも結構大変なんです、ハイ。ではまた。




(2005/6/1 記す / 2026/4/8再掲)

 

 

 


2026年04月08日