三浦つとむの言語理論、その形成過程について 1
学問とスペキュレーション
時枝誠記は、『国語学への道』という本のなかで、学問に必要とされるスペキュレーション(speculation【あてこみ、推測、予想】)というものについて語っています。これは、「学者は自殺しない」というタイトルのつけられた、対談形式の文章です。
《 A (中略)・・・君のやつてゐることを見てゐると、結論が先に出てゐて、事実が、あとを追ひかけて行つてゐるやうに見える。事実を出来るだけ集めて、そこから結論を帰納して行くこの頃の実証主義者の逆を行つてゐるやうな気がする。
B あれは結論じゃない。スペキュレーション(あてこみ、見込み)なんだ。学問の至極の妙味は、スペキュレーションにあると、僕は思つてゐる。事実を山ほど集めて、そこから素晴らしい結論が出るだらうなんて期待するのは、学問の邪道さ》(時枝誠記『国語学への道』三省堂、1957年10月)
ここではさらに、コペルニクスの地動説を例に出して最初の見込みがたしかであるならば事実はあとからついてくる、第一スペキュレーションのない学問なんてスリルがなくて気が滅入る、「常夜の闇」みたいなものだと一刀両断しています。たしかに、ある程度の事実の積み重ねのうえに予想という段階がなければ理論の発展はなかなか難しいのではないか、逆にいえば、ある理論の予想が成立した背景にはそれなりにある種の事実の集積が存在したのではないか、とここまで考えると、これはきわめて妥当な考えのように思われてきます。アインシュタインの光速度不変の原理にしても、マイケルソン・モーリーの実験でも光速が一定であることが示されていたことや、誰もが「エーテル」の存在を前提にしていたけれども「エーテル」そのものはまだ検出されていなかったこと、およびマクスウェルの電磁気学の普及など、いろいろな下地となる事実の集積がそれなりにあったことはよく知られています。当然、三浦つとむの言語理論の成立にもそれなりに諸事実や諸理論の集積があったものと思われます。一般の人がはじめて三浦の言語理論にふれると、その独特な・重層的かつ分野横断的な理論の展開に驚かれることと思います。また、その膨大な量の論文の集積に圧倒され、あるいは最初の段階で、難解さを感じてしまう人もあるかもしれません。そこで、私はここで、三浦の言語理論の形成過程を初期文献を参照にしつつ光を当て、それによって理論の全貌がさまざまな事実とスペキュレーションの連続によって必然性をもって構築されたものであることを見ていきたいと思います。
(2020/5/20 脱稿 2026/4/27 更新、再掲)