三浦つとむの言語理論、その形成過程について 4
1932年 春
三浦つとむが初めて「三浦つとむ」名で論文を発表したのは、1948年5月に『思想の科学』に掲載された「弁証法は言語の謎をとく」でした(1)。三浦はこの論文の前半部分で、みずからの言語研究の足跡を簡単にたどっています。それによると、三浦が初めて言語の理論に興味をもったのは1932年(昭和7年)春とあります。
《 洋の東西をとわず、「浪花のアシも伊勢のハマオギ」というような例は珍しくない。学術用語にもこれに似た例がある。昭和7年の春だったと覚えているが、当時ラジオ会社ではたらいていたわたしは、ラジオの術語にこういう例がいくつかあることを知って、興味をもち、一体言語学はこういう事実をどう説明しているか、しらべにかかった。radio(米)はイギリスとその植民地に於てwireless(英)と呼ばれている。また真空管は、tube(米)、valve(英)であり、その電極についても、anode
, cathode(英)をアメリカではplate , filament と呼んでいるのである。同じ事物をちがった面でとらえていることはすぐわかるが、そのとらえかたのちがいに問題があると考えたのである》(三浦つとむ「弁証法は言語の謎をとく」。太字は原文)
「浪花のアシも伊勢のハマオギ」というのはことわざの一つであり、現在一般に「難波の葦は伊勢の浜荻」とよばれるもので、物の名前や風俗・習慣などは土地によってちがうことのたとえとして使われます。また、三浦は見方とらえかたの違いが名称の違いとなってあらわれる諸事実を指摘して、こういう問題を言語学がどのように説明しているのか調べますが、その結果失望することになります。
《 ところが、失望したことには、どの書物をみても、同じ事物にちがった名まえのあることは指摘してあるが、こういうとらえかたの立体的なちがいは全くとりあげられていなかった。なるほど、言語学者のやっている各国語の比較や、文法の研究や、発音がどういう歴史的なかわりかたをしたかをしらべるようなことは、それぞれ重要なことであろう。しかし、現実の世界が立体的な構造をもち互にむすびついていて、これを人間がつかんでいき、名をつけるのであるからには、たとえ自分であきらかに意識していないにせよ、現実の世界の構造・むすびつきと言語の構造・結びつきとの関係は、現実のそれが基礎となり、言語のそれがこれに従っていくというかたちをとるのであろう。さすれば、現実の構造を研究することが言語の研究の基礎でなければならぬし、合理的な言語の改革・創造という仕事の根本的な規準もまたここに求めるべきであろう。従って、この分析を無視している現在の言語学では、現在のまた未来の言語をどうするかという変革の理論として役立ちそうもない。−−これが、そのときのわたしの感じであった》(同上。太字は原文)
比較言語学や従来の言語学では、対象把握のありかたと命名の関係の構造さえ明らかにしていないではないか、言語の専門家であれば当然しているべき、対象をちがった面でとらえて表現している事実の構造的な分析が行われていない、といって三浦は失望しています(2)。そして、現実の世界の構造を研究することを基礎として言語の構造を分析するべきであろうとみずからスペキュレート(予測、推測)しています。ここには明らかにマルクス主義の影響がみられます。《われわれは、現実の事物を絶対的概念のあれこれの段階の模写と見るのではなしに、ふたたび唯物論的にわれわれの頭脳のなかの概念を現実の事物の模写と解した。これによって弁証法は、外部の世界および人間の思考の運動の一般的諸法則にかんする科学に還元されたのである》(エンゲルス『フォイエルバッハ論』)。現実の世界の模写として認識を理解して、さらに言語(表現)は認識の模写と理解する、まさに「対象→認識→表現」という図式の萌芽がマルクス主義の概念論、認識論にはみられます。三浦は1929年ころからマルクス主義の文献を読みはじめていた(3)ので、こうした現実の世界の分析重視の姿勢の背景には、マルクス主義の世界観、認識論が強く影響を及ぼしていたであろうことは想像にかたくないと思われます。
また、この1932年ということに関連していうと、後年三浦は《私がソ連から輸入されたモンタアジュ論の批判的検討を契機として、時枝と似た結論に達したのも、一九三二年ニニ歳のときと記憶している》(4)と述べています。この「時枝と似た結論」を私なりに要約すると、「言語は絵画、音楽、舞踏などと同じく表現の一種であり、言語の表現としての特質を考えることが言語の本質を考えることになるのである。言語は現実的な行為として成立するものなのだから、言語という表現の背後に存在する目に見えぬ過程を研究すべきである」(※厳密にいうと、時枝は言語を表現として見ていたというよりも、表現行為、理解行為そのものとして見ていました)となります。この考えかたは、時枝の大学の卒業論文にある文章をまとめたものですので、奇遇にも時枝と三浦は同じくらいの年齢で同じような言語観に到達していたことになります(5)。
ともあれ、1932年時点ですでに三浦は相当高いレベルの言語理論上の視野を獲得していたようですが、この時点ではまだまとまった論文を書いたりはしていないようでした。
(1)この「弁証法は言語の謎をとく」(『思想の科学』1948年5月)という論文は、いまの基準でいわゆる「差別用語」に該当する用語をふくむ関係上か、どの選集にもふくまれておらず、これまであまり深い分析が行われてきませんでした。けれども実はこの論文は、三浦の初期文献のなかでもっとも重要なもののひとつといえます。戦前・戦中におけるみずからの言語研究の足跡をたどりつつ、現時点(1948年)における言語研究の成果を惜しみなく披歴してくれています。最初に私が提示した三浦の言語理論の4つの鍵概念のうち、3つの概念(種類論と、「対象→認識→表現」という図式論、観念的な自己分裂の理論)は萌芽的なかたちではあるものの、すでにその見解が示されています。
(2)対象を把握して命名するという行為は、観念的に対象化された意志の一形態である言語規範において、ある特定の概念にはある特定の表象を使うということを決定することを意味します(それは多くの場合、自然成長的に行われます)。この際、規範という認識のもつ矛盾、すなわち規範の決定の際は表象は恣意的だが決定後は強制的であるという矛盾が発生することになります。ただし、対象の把握のしかたは時代とともに変化していくものであり、ときには規範の変化につながることもあり、結局規範における強制も相対的なものでしかありません。ゲーテのことをいまだに「ギョエテ」と書いているひとはいないでしょう。
(3)『唯物弁証法の成立と歪曲』(勁草書房、1991年2月)に掲載の略年譜には、「1929(昭和4) ディーツゲンの『弁証法的唯物論』【「一労働者のみた人間頭脳のはたらきの本質−−引用者注」】などを読む」とあります。
また、『弁証法・いかに学ぶべきか』(季節社、1999年6月版)の背表紙には、「若い読者のために」と題して、次のような記述があります。
《 小学校を卒業したつぎの年にポオの『モルグ街の殺人事件』と『ぬすまれた手紙』を手にしたのだが、この本は謎を解くためのものの見方考え方を事件というかたちで教えてくれているように感じられた。
それから五年あとに、兄貴の本棚からエンゲルス『反デューリング論』をひっぱり出してひろい読みしていると、弁証法の説明のところにぶつかった。とたんに電光のように心にひらめくものがあって、ポオが教えてくれているものの見方考え方は弁証法的な考え方ではないかと気づいた。
−−なるほど、弁証法的に思惟するとはこういうことか、こりゃ面白いし役に立つな、と私は思った。
弁証法といわれる理論を私は自分の仕事に使ってみて、エンゲルスが「われわれの最も鋭利な武器」だといった理由が体得できた。非常に役に立つ、ありがたいものだと痛感した。
若い読者諸君も、ぜひ弁証法を学んでほしい。それによって、ものの見方考え方はさらに深くなり、人生と社会の謎を解く能力はさらに高まると思う》
三浦が小学校を卒業したのは1923年(大正12年)なので、三浦が『反デューリング論』の内容に衝撃をうけたのも1929年となり、ディーツゲンを読みはじめた頃と一致します。また、ここで三浦は弁証法を自分の仕事に使ったと言っていますが、彼の学者としての仕事の大きな部分を占める言語理論の構築に弁証法が大いに役立ったことはいうまでもないことでしょう。
(4)三浦つとむ「時枝誠記の言語過程説」(『文学』、1968年2月号)。
(5)三浦が自分と「似た結論」と評した時枝の文章の引用は以下のとおりです。
《 私は言語は絵画、音楽、舞踏等と斉しく、人間の表現活動の一つであるとした。然らば言語と云はれるものは、表現活動として如何なる特質を持つものであるかを考へて、始めて、言語の本質が何であるかを明かにすることが出来るであらうといふ予想を立てたのであつた》《
思ふに言語の本質は、音でもない、文字でもない、思想でもない。思想を音に表はし、文字に表はす、その手段こそ言語の本質といふべきではなからうか。言語学の対象は、実にその
process を研究すべきものではなからうか。ここにおいて、言語学の対象は、音響学の対象とは明かに区別せられるであらう。言語学者が音声を取扱ふのは、音声そのものが対象の如く見えて実は然らず。音声を仲介として思想の表はさるる
process である》(時枝誠記「日本における言語意識の発達及び言語研究の目的とその方法」、時枝誠記『国語学への道』【三省堂、1957年10月】より引用)
※なお、「弁証法は言語の謎をとく」における本文の強調は、原文では波線であったものを太字にして表示してあります。
(2020/6/1 脱稿 2026/4/30 更新、再掲)