三浦つとむの言語理論、その形成過程について 9

1948年12月


 三浦つとむは、1948年12月に「時枝言語学の功績」という小論を発表しています。三浦はすでに「弁証法は言語の謎をとく」において時枝理論を支持する旨を公表し、部分的に欠陥もあるが全体としてはソシュール理論より優れているとしてその批判的継承を自任していましたが、ここでは、自分のまわりの「唯物論者」たちによる表層的な時枝批判についておもに言及しています。まず最初に、三浦は時枝の学問する態度すなわち既成の理論を適用することよりもみずから対象ととりくむことに力点をおく研究態度と、国語の研究に真摯にとりくむことが言語学の発展に寄与するはずであるという、特殊のなかに普遍をみるその弁証法的態度をほめています。そして、「唯物論言語学者と称する人」たちが時枝誠記に保守反動のレッテルをはって批判している文章を読んで「あいた口がふさがらなかった」といいます。さらに、《 言語政策上の意見と基本的な学説とは一応別個であるから、理論を慎重に検討・分析して正しい判断を下すのが学者としての責任ある態度ではないか。津田左右吉氏が現在の天皇制に対してまちがった見解をとっていても、それは津田氏の神代史研究の業績を抹殺すべしという主張を正当づけるものではない。進歩的言語学者諸君は、時枝・小林論争に対して「自らの力によって対象と取組む勇気」を出そうとしないのか、検討・分析の能力に欠けているのか、それとも両方なのか、それはわたしも知らないが、軽率な理論の排撃は百害あって一利なしである》(「時枝言語学の功績」【『 綜合文化』1948年12月】)と、時枝理論を抹殺しようとする「唯物論言語学者」たちを批判します(1)。このように、三浦は内容によっては自陣営の学者をも公然と批判する、学者としての真摯な態度を一貫して保つ人でしたが、その態度の極北が2年後のスターリン言語学批判にあらわれることになります。


 さらに三浦は、時枝理論の本質を理解するという仕事もせずに時枝の使用する語彙の一部をもってして「観念論だ!」と騒ぐ「観念的唯物論者」たちを批判しつつ、彼らに《ブルジョア科学に真理の粒を発見し救い出して唯物論の宝庫におさめる仕事》(同上)をするべきだと進言して、この短い論評を終わらせています。

 


(1)拙著『言語過程説の研究』第5章において、私は90年代に流行したポストコロニアル研究の文脈において不当に批判されていた時枝誠記の言語政策論およびその人間性と倫理の問題について、詳しく論じています。




(2020/6/13 脱稿  2026/5/4 更新、再掲)

 

2026年05月04日